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なべさんを思い出す (3/19) 

2019年03月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 ヘアラボ、まだがんばっています。すごいよね。大地真央パーマは、朝起きると爆発しています。寝ぐせ直しを丹念に吹きかける所から、1日が始まります。
 フキノトウの大きめのを2つとって、フキ味噌を作りました。たまには私だって、それ位のことはするのです。きざんで、油でいためて、味噌・みりん・砂糖を加えて、さらに過熱するだけ。ご飯が進みます。私はやったこと無いのですが、山の小学校の頃、同級生たちは、学校帰りにフキノトウを摘んで、生で食べたそうです。苦みが何とも言えないそうで、帰ると唇が黒くなっていて、「フキノトウ食ってきたべ」と、ばれたそうです。私も食べてみましたが、苦いだけで、あまりおいしいとは感じませんでした。
 透析患者さんが、やめた結果、亡くなったことが問題になっています。思い出すのが、お兄さんのように慕って止まない、ブロ友「なべさん」のことです。なべさんは透析を受けていて、2012年の今日亡くなりました。心不全らしいとの事。詳しいことはわからないのですが、透析を受けていても、亡くなることはあるのだと思い知らされたことでした。
 なべさんのブログは残念ながら閉鎖されて見ることはできませんが、たくさんの俳句を残してくれました。2011年の春のものです。
   春眠に地震(ない)襲う国の夢を見る  
生きていたら、去年の地震にどんな句を詠んで慰めてくれたでしょう。
   座敷奥ひなに未明の薄明かり
山梨に住んでいたなべさんの、暮らしぶりを垣間見る気がしました。
   花冷や百万遍に人を待つ
なべさんは、息子の芝居の理解者でした。3月末に京都まで公演を観に行ってくれました。その時は暖房の無い西部講堂での公演で、百万遍で待ち合わせをしたのです。とても寒い日で、なべさんの体に障らないか、気が気ではなく、使い捨てカイロを渡したのを覚えています。
 なべさんが生きていたら、「昭和は遠くなりにけり特集」に(いつ名前変わった)、どんだけコメントくれまくったか、又なべさん自身も書いてくれたか、さぞやりとりが楽しかったでしょう。
 缶入り塊炭飴とバター飴の画像を、ネットで見つけました。レトロな缶入りと、私の記憶にあるサイロ型の缶入りです。懐かしい飴と言えば、大好きだったカンロ飴です。あまじょっぱい味が好きです。
 「ベニベニ」は、7/20&21の2回公演。前日練習も出たいので、一応ホテル2泊押さえました。

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