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かをるのワルツ

ポンペイ遺跡はドラマだった。 

2019年02月26日 外部ブログ記事
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2日目(2月14日)午後 ポンペイ遺跡⇒フェリー船泊


いよいよ、南イタリア観光のハイライト『ポンペイ遺跡』だ。


以前、友人4人とのイタリア旅行のとき、青の洞窟とポンペイ遺跡のどちらかを選ぶということで

多数決にしたところ、ワタシのみポンペイ希望で撃沈

ポンペイ見学を諦めたことがずっとあり、今回、やっと念願が叶った。



ポンペイは、2000年前の火山爆発で一夜にして埋もれた都市

1748年に発見されて、今も発掘が続いている。


掘り出された都市は、ローマ時代の繁栄した都市

日本の弥生時代にこれだけの文明があったとはすごいドラマ


道路は計画的に整備されていて、道路に沿って家や商店が並んでいる。

娼館や居酒屋もあった。

圧倒され続けた。


まず、入り口










ポンペイの外壁が見えてくる。










ここは剣闘士が練習した広場











通路を歩いて円形闘技場へ











円形闘技場

今はコンサートや劇などが催されているそうだ。















闘技場の上から見たポンペイの街並み









噴火したヴェスビオ火山が見える。










今も続く発掘作業










2000年前の石畳の道路

車道と歩道が分れている。

車止めや横断歩道もあった。










飛び石が横断歩道










街の大きな通り










立派な公共浴場

ポンペイで最も古くて大きい浴場

男湯と女湯のそれぞれに、脱衣所やサウナ室があり

美しい装飾が残っている。

















ガイドの娼館の説明にみんな興味津々

公認の娼婦の館











壁にはこんな絵がたくさん残っていた。

性に対してはかなり開放的だったようね。









娼婦の部屋










道路に沿って敷かれていた水道管

弥生時代にとは考えられないような高度な生活状況










公共の水飲み場

道の辻にあり、道しるべにもなっていた。

口に蛇口が付いていて、顔がそれぞれ違う。
















大広場に出てくる。

裁判、政治、経済などの中心の場として利用されていた。











ポンペイ遺跡2に続く

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