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呉の海軍史跡を巡る。備陽史探訪の会 

2019年02月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

呉の海軍史跡を巡る。備陽史探訪の会
2月バス例会「呉の海軍史跡を巡る」に参加してきました。
備陽史探訪の会、若手の大場氏が講師で頑張ってくれました。


高烏砲台跡
日露戦争時に瀬戸内海沿岸に建設された砲台のひとつ
砲台に通じる道路が昨年7月の豪雨で崩れ通行止めになっており見学は中止となりました。

歴史が見える丘公園
戦艦大和を建造したドッグ




呉の街


噫(ああ)戦艦大和塔
大和(右)と長門(左)の主砲徹甲弾が並ぶ。砲弾は本物


湾内クルーズ
呉湾内、自衛艦がすぐそばで見られます。


完成間近の大きなコンテナ船

ヘリコプター搭載護衛艦 加賀 
修理中(もう改装に入っているのかも)


実質、空母に改装になります。


     天皇陛下在位30年記念式典で護衛艦は満艦飾


輸送艦 しもきた


潜水艦

長迫公園(旧海軍墓地)


明治二十三年(1890)海軍関係者の埋葬地として開設
昭和二十年までに十三万柱の英霊を祀っていましたが戦後に荒廃。
昭和四十年頃から呉鎮守府所属の艦船や部隊の慰霊碑が建てられるようになりました。


現在、艦船部隊の慰霊碑は91基 個人碑は197基となっています。


多数の慰霊碑 それだけ人が亡くなっているということです。


戦争末期は筆舌につくしがたい悲惨な状態でした。
呉、江田島周辺は浮き砲台(燃料がなく動けない)となった多くの戦艦、巡洋艦、空母、駆逐艦が空襲され無残な姿を晒していました


呉の街 
終戦時は丁度この辺りから海まで全て焼け野原になっていました。


呉は見応えのある、海軍遺跡、資料館が多いですが坂が多く道路が
狭いので、大勢での観光は難しいです。

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