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父92歳 (2/19) 

2019年02月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日階段をトントン上がって脈拍測ると、80でした。問題無いでしょう。朱鞠内は58日間連続真冬日だったそうですが、今日は脱出の予報です。
      お父ちゃん、92歳おめでとう
 死んで45年にもなる人の事を、誕生日の度に(命日にも)書き続けて14年、ネタが尽きてきました。のではなく、もっと色々聞いておくのでした。父は下から2番目だったので、父の兄弟もその連れ合いも、私の知る限りではもう存命ではありません。いとこ達とも特別付き合いも無く、新しい情報が入って来る可能性は、ほとんど期待できないです。
 父が生まれたのは、昭和2年1927年2月11日で、昭和が始まったのが前年の12月25日だから、2年ではありますが、昭和になってすぐの事です。だから父の名前には「昭」の字がついています。昭仁じゃないよ
 もう幾度も書いていますが、絵が好きで、戦争が無かったら絵を勉強したかったと言っていたから、よほど好きだったのでしょう。もっと長生きして、絵をやらせてやりたかったです。スポーツもほどほどにはやったようで、柔道と相撲も心得があったようです。理工系で、絵と理系の才は弟が引きつでくれて良かったです。私の手先の小器用さは母譲りだと思っていますが、父も何でも作る人でした。父と母が二人で作ってくれたお雛様が、写真すら残っていないのは、痛恨の極みでした。学級通信などもお手の物でしたから、書き魔は父のおかげなのだと思います。
東芝に勤めていたらしい川崎を焼け出されて故郷に戻り、教員の道を目指しました。教員養成所へ行ったのですね。裏に達筆で「學藝大學養成〇(←これ読めない)一同」と書かれた写真です。集合写真はけっこうあるのですが、どれが父だかわからない。これはわかるので。
 教員時代の写真も1枚。昭和31年と書いてあり、荒井洸子さんと思われる子が写っています。やっぱり周りの子とは、全然違うわ。そうだ、今度チャンスがあったら、洸子さんに父のことを聞いてみようか。「あなた、パーキンソンなんかに負けないで、しっかりしなきゃだめよ」と、叱咤激励されちゃうと思いますが。
 あんなに丈夫だった父が、あっけなくがんで47歳で逝ってしまうとは。やっぱり酒たばこは良くないですね。お父ちゃん、あなたの孫は、日に日に顔が似てきます。特にエラの張っている所と鼻の形がね。あなたに会わせたかったわ。でも、頭髪は似ませんように。
  今まで間借りだった、息子の事務所ができたようです。古民家だそうです。
 奈七子さんG1初レースが、盛り上がったようですね。門別競馬場に来たら、観に行きます。女・子どもはみんな応援するよ。私はイケメン福永さんが良いですが。
 PS:農オケの牧野さんも、今日が誕生日でした。単なる偶然ですが、何となく嬉しいです。

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