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平成の虚無僧一路の日記

ボロ と ナラダッタ 

2019年01月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



深夜12時を過ぎると、ビルの明かりも一斉に消え、異様な空気に一転する。ホームレスが寝場所を求めてうごめいている。その数は、一頃より激減している。以前は、割合まともな服装で、昼は働きに出、夜は露宿している人が多かった。働く気のある人は、名古屋市が仮設住宅を建て、収容して、再起の支援をしてきた結果、ホームレスが 少なくなったようだ。今、名鉄名古屋駅前にいるのは、髪も髭もぼうぼう。ぼろぼろ、の毛布にくるまった乞食。だが、物乞いをしない。
どうやって食べているのか、トイレはどうしているのか 不思議だ。虚無僧は、室町時代「暮露(ぼろ)」とか「ぼろぼろ」「ぼろんじ」などと呼ばれていた。ボロをまとっているからだ。そして、薦(こも)を敷いて野宿するから「薦僧(こもそう)」とも呼ばれた。そんな「ぼろ」の生態に私は関心がある。私の“ 行く末 ”じゃ。手塚治虫の『ブッダ』第11巻、第9章に登場してくる「ナラダッタ(「オナラダッタ」かな?)という修行僧。衣服もまとわず、言葉も発せず、目もつぶれ、四つんばいになって地を這い、病気になっても、釈迦の差し出す薬も受けず、ただ「自然にまかせて、死ぬときがくれば 死ねばよろしい」の生き様を貫いた。その姿に、仏陀(釈迦)は「私など到底及ばぬ立派な人だ」と感動する。私も、この「ナラダッタ」の話には、一番 感動した。日本の朝廷が、仏教に帰依して開いた都は「奈良」だった。原始人が、音楽に目覚めたのは、おそらく「おなら」だったろう。空気を送って、物を振動させることで、音が出ることを知ったのだ。(私の珍説)

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