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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

あれから33年・・・ 

2011年06月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日は「未曾有」の大震災から3ヶ月でしたが、「宮城県沖地震」から今日で33年です 


あの日は会社からバイク(その頃車の免許は無かった)で帰宅したら、たっていられなくってバイクはひっくり返り、スローモーションのように引き戸だった玄関の戸は、一枚ずつ外れて割れた 


電線がもの凄く揺れていたから、二階で子供たちが「いたずら」しているものと最初は思った 


地震が落ち着き玄関先で「大丈夫・・?」って声をかけたら、息子と娘が泣きながら飛び出してきた〜!


6畳の真ん中にあった「掘りこたつ」の中に、二人は潜ったらしかったがそこに南側からテレビが倒れて、北側からは茶だんすが倒れ金魚ばちの水槽の水は三分の一になった(60センチ)


いつもは茶だんすの前に座っている、今は亡き母は・・偶々西側に座っていて難を逃れた 


兎に角倒れなかったものは無かった。冷蔵庫から卵が飛び出し・・米びつも倒れ、味噌がめの味噌も・・・


どこも「足の踏み場」はないし、二階建ても通し柱が折れていたから、とても中に入っていられる状態じゃなかった 


お隣は何とか大丈夫で子供たちをお願いして、帰ったばかりの会社に行ったらガスボンベが倒れて、ガスが噴出していた 


重い書庫も1m位は移動していたし、事務机の引き出しは全部飛び出していたが、幸いプレハブだったから建物は大丈夫だった 


今回は「避難所」があったがあの時は、「避難所」なるものなど無かったような・・・


帰宅した父はいつも娘が遊んでいるお宅に、ブロック塀があり心配したらしいが・・家にいて無事だったが、そのブロック塀は見事に倒れていた 


お隣のお姉ちゃんのニ段ベッドで一夜を明かし、翌朝すぐに近くの貸家を契約して来た 


地震まで働いていた父が地震のショックと、18日に一番仲良しだった兄を亡くして、その後は廃人同様の酷い「欝」の状態で、何度も入退院を繰り返した 


あの時は今回のような「義援金」らしいものも、貰った記憶がなく「せともの」を多少頂いたような・・!


その後女の細腕で秋に上棟式をして、暮に引越しをしたのが今回床下浸水だった空き家の方です 


今回の震災後被災者とお話をしていても、私などは「被災者じゃない」と思うからか、心を開いてくれない人もいるように感じることもある
 

実際「あの人に私たちの気持ちが・・」と言う思いもあると思うが、私は33年前は被災者で・・今回と規模は違うが、少しは気持ちも分かるし私に出来ることを言ってもらうと、お手伝いも出来ると思うが・・!


59歳でリストラ退社するまでは、震災5年後に父が亡くなり12年前に息子が結婚し、翌年2月に娘が結婚・・6月末に母が亡くなるまで、この細腕で何とか頑張ってきたが働くところがあったから良かった 


確かローンの金利は「特別金利」だったと思うが、退職するまでローンを払い続けその後残りはまとめて払った 


18日は67歳の誕生日だからあの地震の時は、今の半分の33歳だったのか・・


まだ若かったし両親がいたから、頑張ってこれたのかも知れないが、今回の震災はあの時と規模も何においても大きく違うが、やはり信念を持って「前に進む」しかないのかと・・・


今日は愛犬ジョン君の命日でもあった・・毎日動物病院に通っていた時から、4年が過ぎたが・・一人と一匹の5年間忘れないよ 


今回二階の重みのせいで車庫の、シャッター部分がズレ・・土台が割れていた。(画像が見つからない・・)






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