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翻訳物の難しさ 

2018年11月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

教会員のMさん宅で、毎週開かれている家庭集会にお邪魔した。

月に一度、引退された牧師先生がお説教される、と伺ったので・・。


そのお宅は、私が名古屋に転居してきた直後、一年間住んだ場所から、近い筈であった。

子供のための、プレ幼稚園のような集会も開催してらして、ホームページを開くと、住所も地図も出てきたので、お散歩がてら歩いて行った。

でも方向音痴の私は、結局散々迷って、余裕を持って出かけたのに、ギリギリに駆け込むようにして着いたのだった。

とはいえ、久々に歩く界隈は、懐かしかった。

その辺に住んでいた頃、主人は大学のキャンパスを通り抜けて、急勾配の坂道を通勤路にしていたが、今となっては何処から入るのか余り定かではない。


先生のお話は、イエスが最初にされた、山の上の説教に関する解説であった。

「心の貧しい人々は、幸いである」

この、貧しい、と言う言葉は、空っぽ、という意味である、という解説は印象的であった。

やはり、聖書は一人で読んでいるだけでは難しい。

元々、翻訳物だから、本来の言語が持つ意味から、離れてしまっている言葉が多々あるのだ。

この言葉は、先生始め皆さんがやはり、理解するのは難しい例だ、とおっしゃっていた。


集会が終わった後、「スペイン旅行にいらして、何か変化はありましたか」と聞かれた。

私はウィーンへ、演奏会を聴きに行きたくなった顛末をお話しした。

基督教は言うに及ばず、西洋音楽は外来文化だから、皆さんも大いに同意されていた。

比較的年配の方々の集まりなので、「お若いわねえ」と言われて面はゆかったけれど・・。



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