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ニャンコ座リポート
仕切り直し 母の誕生日 (10/11)
2018年10月11日
テーマ:テーマ無し
昨夜は縦揺れが来ました。弱かったけれど、今までの揺れ方と違うので、寒気がして震えました。
別に締め切りがあるわけじゃない、語呂合わせならば来月の方が良かったかもしれませんが、母の誕生日からちょうど1ヶ月なので、この辺りで書いておきます。
もう1度、お母ちゃん、87歳の誕生日、おめでとう
9月11日には、とても誕生日を祝うゆとりが無くて、ごめんなさい。私は相変わらず余震におびえ、片づけは進まず、心身の不調を抱え、でもたくさんの人たちに助けてもらって、こうして生きています。おかあちゃんにもらった命、大切にします。
この間、髪を切った私の顔が、母に似ているのを強く感じました。写真は、母62歳(息子は4年生)の頃です。あの頃の母は、私たちも足しげく行っていたし、孫をかわいがって、きっと幸せだったのではないかと思います。でも、今私が感じている一人暮らしの不安を、母はどうやってやり過ごしていたのだろうかと、聞いてみたい気がします。
母は昭和6年(1931年)生まれ、鍛冶屋(主に蹄鉄を作っていたもよう)の、2男7女の末っ子でした。貧しかったけれど、割かし育ちが良く見えたのは、末っ子でみんなにかわいがられたからだろうことと、精いっぱいの教育を受けられたこと、それに応える力が母にはあったこと、そんな理由からだと思います。
小学校を卒業した後は、教員になった兄に引き取られて、池田町で女学校時代を過ごしました。写真は女学校1年6月とあります。今で言う、中学1年です。一緒に写っているのは姪っ子たち(私の従姉、5人姉妹の中の下から3人、きょうこ・あつこ・ともこのような気がしますが、自信はありません)です。母は終生兄夫婦を尊敬していました。伯母は高齢ですが、存命です。
母と私は、良く話した方ではないかと思います。それでも、もっともっと色々聞いておくべきだったと、残念に思います。子供の頃の事、戦争の事、音楽の事、仕事の事、父との事、子育ての事、そして何より、父と死別し、弟と私を大学に行かせ、その後をどんな気持ちで生きていったのか、今こそ聞きたいです。
次々書くことがあって、書きそびれていましたが、毎年恒例、10月の子宮がん検診・乳がん検診・眼科検診にまとめて行ってきました。子宮の細胞診の結果はまだ知りませんが、おそらく異常無しでしょう。裸眼の視力は、気合入れて山勘で答えたら、何と1.0という、素晴らしい結果が出たのでした。私、もはや近視ではない。で、ヨガ行ってきます。
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