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平成の虚無僧一路の日記

戦争終結の舞台裏、鈴木貫太郎と畑俊六 

2018年07月27日 外部ブログ記事
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「寺内貫太郎一家」ではない、「鈴木貫太郎」は、太平洋戦争終末期の内閣総理大臣。昭和20年4月、77歳という史上最高齢で「総理大臣」と「外務大臣」に兼務で就任した。鈴木貫太郎は、昭和11年(1936年)年に起きた二・二六事件の時は、海軍大将で、青年将校らに襲撃されている。天皇の信任あつく、戦争終結への大命を負って、総理大臣になった。だが、就任当初は「徹底抗戦」派を装い、終戦工作については内密にして、とぼけていたようだ総理を決めるとき、東条英機は、陸軍の「畑 俊六」元帥を推した。東条は「畑俊六なら徹底抗戦を遂行できる」と考えたらしい。鈴木貫太郎は、「終戦か 徹底抗戦か については、最終的には天皇のご聖断を仰ごう」と、天皇に下駄を預けてしまった。77歳、よぼよぼの不甲斐ない総理と思われがちだが、どうしてどっこい、なかなかの古狸だったようだ。一方の「畑 俊六」は、「生きて俘虜の辱めを受けず・・・」の『戦陣訓』を作らせた人であり、峻厳な軍人だから「徹底抗戦派」と思われていた。ところがどっこい。畑も天皇の信任篤く、4月に西日本を統括する「第二総軍」の司令官になった時から、天皇−鈴木総理−畑で、戦争終結のシナリオが描かれていたのだ。

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