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仏教政策の集大成、江戸時代(1) 

2018年07月21日 外部ブログ記事
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領民の戸籍を寺が管理する寺請制度が、葬式仏教の元祖

徳川家康と宗教政策
 ☆徳川家康は若い頃領内の一向一揆に手を焼きました
 ☆信長が一向宗の抵抗あい、宗教のもたちす怖さも知っていた
 ☆家康は江戸の都市計画にも風水を取り入れています
 ☆秀吉の遺児、秀頼勢力を経済的に弱める
 (寺社仏閣を大規模に復興させる土木事業を興させている)
 ☆質実剛健を家風とした家康は、華美な文化を愛した信長・秀吉と異なる
 ☆信長・秀吉は、キリスト教がもたらす西洋文明を積極的に取り入れた
 ☆家康は、信長・秀吉と異なり、農業中心の産業政策を取る
 ☆幕府は徳川家の政権を盤石にするため大名に対する厳しい統制政治を行う
 (領地(天領)と軍事力(旗本十譜代大名)に関して)
儒教を取り入れた家康
 ☆江戸幕府の政策は、家康の時代社会体制を維持することを第一目的とした
 ☆宗教団体を幕府の監視体制に置き、体制側に組み入れ見事に成功した
 ☆家康は中国思想の儒教を奨励した
 ☆下克上の精神風土を廃し、規律をもちこむ為、朱子学(儒学)を導入
 (臣下の倫理規範とした)
江戸幕府がもち込んだ儒教は儒教の一部
 ☆儒教で、重要な官僚制度改革や儀礼の部分は持ち込んでいない
 ☆儒教の考え方から、幕末の「尊皇攘夷」論が出て倒幕運動につながり江戸幕府は倒れる
家康は仏教界の内部対立を鎮める仲裁を行っている
 ☆信長に対抗した石山本願寺は、信長と和睦した際に本願寺を退去
 (秀吉により京都市内に本願寺を再興した)
 ☆家康は浄土真宗が血統をめぐって争いが絶えないので調停した
 (浄土真宗は西本願寺=本願寺派、東本願寺=大谷派として並立する)
 (京都の東西の本願寺は家康の調停の結果です)
 ☆家康は、日蓮宗の対立も調停している
 ☆家康は死後、日光東照宮に葬られ、朝廷から東照大権現の神号を贈られました
 (秀吉と同様、神として祀られた)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


領民の戸籍を寺が管理する寺請制度が、葬式仏教の元祖
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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