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<心に成功の炎を>88 

2018年07月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 <訓言四> どんな人生の出来事でも その責任の一部分は必ず自分にあるということを忘れてはならない。

 こんなこと考えたことあるかな? 何でも<自分には責任はない あいつが悪いんだ こういうことが悪いんだ>といって 責めを他に負わせようとするのが普通の人間の常識じゃないか。しかしその常識は非常に卑怯な常識だということを考えなきゃいけない。
 およそ人間の身の上には その人の心にないことは生じないんだぜ。みんなはこれがわかってない。思ってもいなかったことが 現実に自分の人生にできあがったといっても それを自分が無意識的に思っていたことに気がつかないで 意識的に思ったこと以外には思ったことじゃないと こう思ってる。
 だから 実在意識が 感覚的に思ったことだけが思ったことで 感覚できない潜在意識の中で描かれた絵図が 現実の格好に浮かびだしてきた場合には ちっとも自分には責任がないと感じる。要するに無意識の意識がその原因をなしているんだ。
 本当なんですよ。人間の身の上には その人の心の中にないことは生じないんだぜ。言いかえると すべての出来事は 心の内部から 自分が知る知らざるとは問わない 心の内部から掲げられた合図によって作られている。
 我々人間の生きてる背後には 始終そこに その人の思い方のとおりに物をつくろうとする力が控えてるよ。現象の背後に必ず実在ありということだ。

 <訓言五> 悲しいことやつらいことがあったとき すぐ心に思わせなければならないこと。

 悲しいことやつらいことがあったとき すぐ悲しんで つらがってちゃいけないんだよ。そういうことがあったとき すぐ心に思わしめねばならないことがあるんだ。こういうことをまず第一番に知っておくべきなんだよ。
 それは何だというと すべての消極的な出来事は 我々の心の状態が積極的になると もう人間に敵対する力がなくなってくるものだということなんだ。
 だから どんな場合にも心を明朗に 一切の苦しみを微笑みにかえていくようにしてごらん。そうすると 悲しいこと つらいことのほうが逃げていくから。
 人との運命というものは 油断すると 常に本能と手を組んで歩こうとしているものなんだ。そして消極的な出来事は絶えず 不用意な人々の周囲を徘徊してるんだよ。だから 外部運命の力をほどよく制御したかったならば 自己の本能の妄動を正しく制御しなきゃならない。
 そこへいくと 観念要素の更改というものをあなた方は知っているんだから 本能の踊り子にはならずに済むだろう。昔はなっていたんだ。のべつ本能の踊り子にね。苦しいとか悩ましいとかというのは みんな本能の踊り子に自分の心がなっていたための結果だよ。

―続くー



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