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<心に成功の炎を>86 

2018年07月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

         *

 <訓言一> 人間としての本当の自覚

 この世には 他人の気持ちや また事件や病のために すぐに無条件で圧倒されてしまう種類の人間と 反対に 全然そうした悪い力に倒されない人とある。もちろんそれは 比較すると 前者の種類の人のほうが全体の9割9分で 後の種類の人はその中の極めてわずかな割合かもしれないけれども 我々は 倒されないほうの人の仲間になって生きることに努力しなきゃいけない。


 <訓言二> <自己を知れ>

 あの有名なソクラテスが叫んだ偉大な言葉として 世界中の人間が知っている<ノウ・ザイセルフ(Know thyself)>という言葉に対する私の見解をはっきりあなた方にわかっておいてもらおうと思う。
 <ノウ・ザイセルフ(Know thyself)>という言葉は <自己を知れ>とそのまま単刀直入的に学者も識者も翻訳しているようだが この<自己を知れ>という言葉の意味に どういう説明を付加しているかというと ほとんどの学者が ただ単に自分の性格や性癖 または欠点等を知ることだけのように 異議なく共通的に説明している。しかし 天風はそう考えないんです。
 じゃあどういうふうに考えているかというと この考え方はもっとその解釈を無限大の範囲にまで引き上げて考えるべきだと思う。
 詳しくいえば こうして何事もない普通の人生に生きているときの自分というものを ただ単に知っただけでは 人生は解決がつかないんです。本当に知っておかなきゃならないのは 有事の際の自分を明瞭に認識することなんであります。
 事なき世界に生きてるときの自分をいくら明瞭に認識したからって 人生が事なき世界でもって一生を終わってしまうんならともかくも 変転極まりなきが人生の常。その変転極まりなき人生の中に生きてるときに 平素の自分だけをいくらはっきりしたからって いざ鎌倉のときに何の役にも立ちゃしない。
 何か事のあったときにあわてやしないか。思いがけない事件にでくわしたときに うろたえやしないか。冷静な考え方がメチャメチャになってしまわないか。というような自分の欠点 短所を有事の際にどんなふうだというふうに深く掘り下げて考えなきゃだめなんだ。そうすると 自然と自分の本当の姿というものが自分の心に映ってくる。
 そうするのはこういうことをやってごらん。過去と現在の自分をまず引き合わせて考える。昔こういうことがあったときはどういう気持ちだったか。それから 現在の自分はどんなふうな気持ちかしらん。どんな人間だって 過去の自分と現在の自分と うぬぼれなしに冷静に考えたら 本当の自分の姿というものがわかってくるに決まってるんだから。
 そして同時に 現在のままで未来へ行っていいかしらん 悪いかしらん。悪いと思ったら 未来における自分というものを現在からもっと進歩させなきゃならないということに気がつくだろう。
 というふうに 自分というものを 主観的に客観的に 縦から横から観察していく考え方が<ノウ・ザイセルフ(Know thyself)>という言葉の本当の意味じゃないかということを 私は私自身で考えている。
 もちろん この言葉をいった本人であるソクラテスは一体全体どういうふうにこれを解釈したものか またどういうふうな気持ちで言ったものかということは ソクラテス自身に聞いてみなきゃわからない。 しかし ソクラテスがたとえこれよりも第二義的なことを感じて言ったとしても 我々が ソクラテスの言わないところまで引き伸ばして考えることは ソクラテスの後の時代に生まれた人間としての人生に対する当然の義務だと思うから いま言ったように考えることが 至当じゃなかろうかということを言いたいのであります。


 <訓言三>

―続くー



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