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仏教の大衆化を促した浄土宗 

2018年07月11日 外部ブログ記事
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法然は「専修念仏」を説いて流罪となる

初の本格的な大衆仏教・浄土宗
 ☆浄土宗を開いた法然は比叡山に登り43歳で「専修念仏」に出会う
 ☆平安期の天台宗、真言宗は、何年も山に籠もり修行を重ねることが必要でした
 (宗教は、民衆には縁遠いもの)
 ☆法然は「南無阿弥陀仏」と唱えると阿弥陀様が救ってくれると説いた
 ☆法然以前、浄土教では「観相」と言って仏の存在を「心で念じて観る」ものでした
 ☆法然の開いた浄土宗では「仏の名を唱える」だけと負担が軽くなりました
 (文字が読めない大衆にも、極楽浄土の道は開けた)
法然は「四十八願」より「専修念仏」を理論づけ
 ☆阿弥陀如来は、帰依して念仏を唱える人を「救う義務がある」と解釈した
 ☆信者を集めた法然は、高倉天皇、後白河天皇、後鳥羽天皇、関白九条兼実にも戒を授ける
 ☆源氏の武将・熊谷直実も晩年、法然に弟子入りしています
迫害を受ける念仏集団
 ☆法然の広めた専修念仏へ、既存仏教界から弾圧しようとする動きが出てくる
 ☆奈良仏教や比叡山の勢力
 (「念仏さえ唱えれば往生できる」との考えは相容れないものでした)
 ☆既存仏教界から後鳥羽上皇へ「興福寺奏状」の弾効状が出された
 ☆弾劾状は、法然教団が既存の仏教の伝統や権威を損なっているというもの
 ☆弾劾状は、法然シンパの九条兼実により却下された
 ☆後鳥羽上皇側近の女官が法然の弟子の集会に参加
 (女官に感化されてしまうものが出たことで上皇の怒りを買う)
 (事件の発端となった僧は死罪、法然は還俗し讃岐に流罪)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


法然は「専修念仏」を説いて流罪となる
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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