あほー松の人生

あほー松の人生 NO.23 

2018年07月10日 シニア・ナビブログ記事
テーマ:テーマ無し

当時の合板産業は対米輸出が盛んで活況を呈していました。会社に入って一番驚いたのは輸出に追われ残業残業徹夜挙句の果て休日出勤の連続で、皆へとへとになるくらい働いていた事でした。

輸出というのは当然ながら製品を神戸港で貨物船に積み込むわけですが、貨物船の出航日時と言うのは決められていて、従って指定された日時に製品納入が間に合わなければ、多額の遅延損害金を払わされる関係上、何が何でも納期厳守ですから、過剰勤務になるざるを得なかったわけです。

それでも皆、時間外手当が稼げるので結構喜んでいました。一方会社には封建的身分制度がありました。大学卒は正社員、高卒以下は工場で働く工員と区分されしかも工員は絶対、正社員に登用される事は無いというシステムでした。

職階級制度を見れば、社長以下、専務、常務、部長、次長、課長、課長代理、係長、平社員、職長、組長、一般工員となっており工場勤務の工員は職長までしか昇任出来ないシステムになっていました。

たかが従業員300人くらいの中小企業で能力とか実力など関係無しで、このような封建的制度の会社にまず驚きました。

この合板業界で中小企業でありながら老舗名門企業と言う事で業界でも一目置かれていると言う事でした。
そして社長が当時の大阪でも数台しかないと言われていたアメリカの名車リンカーンコンチネンタルという高級車に乗っていました。

社長車の運転手がこれまた虎の威をかり、えらそうにしていました。
社長は超ワンマンで誰も彼もご無理ごもっともで周りの取り巻きはゴマすりイエスマン社員ばかり。最も社長が創業者で一代で築き上げた株式非上場の会社でしたから、株式会社とは名目だけで個人経営の会社のように思えました。

そして社長は合板製造業界経営者団体の重鎮として君臨していました。続く・・・


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