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昭和2年生まれの航海日誌

候伯子男とちゃんやん階級 

2011年05月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



     少しばかり分別ができるやうになってからも
    「馬上の友」のような出会いには恵まれなかった。

     長い船艇勤務をしたが、麻雀、競馬、飲み付き
    会いはしたけれど、心の底まで通じる「船乗りの
    友」はあったとは言えない。

     でも、「竹馬の友」なら、遠い昔が昨日のように
    甦り、広士さん、春ちゃん,泰やんが駈けつけて
    くれそうだ。

     田舎では、今でもそうだが、貴族の階級代わり
    に、さん、ちゃん,やんが生きている。
     屋号の酒屋さん,油屋さんと呼ぶこともある。

     自分はちゃん格で相当であったと満足している。
    国定教科書の読本に”けんちゃん”という標題も
    あったし、年上の女の人がさん付けで呼んでく
    れた。

     広士さんをヒロッさんと呼んで、一緒に遊び。喧
    嘩、虫取り、山畑の夏ミカンとり、旬をはずれて、
    酸っぱいのを汗をかいて食べた。

     「もう、流動食も食べなくなった」と細君が言う。
    其の日中に 病院へいったら起きて来た。

     夏ミカンの話をすると、急に笑い顔になって、
    生き生きとしてきた。

     「入社したとき、10,000メートルで一番だった」
    「君なら朝飯前だなあ」と云うと、
    今の身を思ったのか、考え込んでしまった。

     野辺の送りに小川のほとりで迎えた。
    通り過ぎる時、蛙の片足を掴みあげたわんぱく顔
    が想い浮かび、悲しいより涙。

     一方、壮年のやんちゃん組には二人の乗馬の
    達人がいた。

      四歳のころ、馬を見ていたら、ひょいと抱き上げ
     られ、馬の背中に乗せられた。
     恐いどころではなかった。泣けなかった。

      その人はは宗三さんで、都会へ丁稚奉公に出た
     が、店が倒産したため、実家に帰り農業を手伝い
     居候をしていた。

      昔は、不景気になったり、健康を損ねると。
     田舎にもどり、療養し、再就職の機会を待った。
     偉大な包容力があったのである。
     老人介護あたりまえのことだった。

     今は無い、社会のシステムが違う。



  ...

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