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葵から菊へ
東女卒業生有志の九段下周辺戦跡ツアー(其の一)
2018年06月24日
テーマ:テーマ無し
さる5月に「東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーガイド」と他3回をエントリーしました。
「東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーガイド風景画像」
「東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーガイド風景画像《その二》」
「東東京女子大卒業生有志の靖国神社ツアーの感想文」
当日は長時間になりましたので、しょうけい館など九段下周辺の戦跡は後日としました。
22日にしょうけい館、昭和館、九段会館(工事中)、愛国婦人会発祥之碑、大隈重信候雉子橋邸跡をご案内しました。
次回は、7月中旬に「東京駅と丸の内街」をご案内する予定です。
東京メトロ東西線・半蔵門線、都営新宿線九段下駅6番出口で10時に集合してから「しょうけい館」をご案内しました。
常設展示室二階
≪徴兵検査≫
身長は5尺以上(151.5?)が合格。褌、猿股をとり軍医が陰茎(性病)と肛門(痔)を検査する。
「甲種・乙種・丙種・丁種・戊種」に分けられ、甲種と乙種が兵役合格となる。
甲種合格した本人と母親への表彰状二枚が展示されている。
『徴兵検査の結果、体格、学力ともに優秀であった者への表彰状。母親に対しても、立派な子供を育てたことに対して表彰している。表彰状の中の壮丁とは、成人になった男子で健康な者のこと。』(しょうけい館ガイドブックより)
≪戦地での受傷病と治療≫
三つの円グラフがある。中国戦線、満州戦線は結核が24%、39%であるが、南方戦線では結核12%、マラリヤが20%になっている。三方面の戦線で共通するのは精神病・その他の神経症が8%、8.9%となっていることである。
「大日本帝国軍人」として恥ずかしい数字であるが、軍医は正確な数字を報告してる。自傷する兵士を見破ることも軍医の仕事である。(木村学芸員の話)
木龍克己学芸課長の話によると、ガダナルカナル島などで餓死した兵士の場合は、上官が「戦死」或いは「戦病死」と上申したようである。
戦死と戦病死・戦傷死との比率は、日中戦争時と比べると太平洋戦争末期には、制空権、制海権が殆ど無くなったので戦場に於ける戦死の比率は圧倒的に多くなったと話してくれた。
≪受傷の瞬間≫
兵士が戦争でけがをしたときに身につけていたものをご本人から提供され、銃弾の穴が空いている「軍帽」、「メガネ」、「煙草ケース」、「軍靴」が展示されている。
この館の展示デザインと制作は株式会社乃村工藝社であるが、天井からライトの光が銃弾の穴を通し、説明パネルを照らしている最優秀展示作品である。
≪野戦病院のジオラマ≫
南方や沖縄戦線の洞窟につくられた野戦病院は、血とウジ虫、糞尿の臭い。敵の砲弾音、患者の呻き声、蝿と羽虫の音が聞こえますが一切の音がありません。
しかし、センサーに手をかざすと静かに女性のナレーションが聞こえてくる。
『特に東南アジアなどの南方では、戦況が悪化してからは、野戦病院に運び込まれる戦傷病者は増えるばかりでした。治療をする軍医や、戦傷病者を運んだり手術などで軍医を助ける衛生兵も足りません。医薬品や手術道具などの日本からの補給が途絶え、やむなく麻酔なしで腕や足などの切断手術や銃弾などの摘出手術が行われました。清潔な環境も整えられず、患者に充分な食事や水さえもあた与えることができませんでした。』(ガイドブックより)
南方で受傷した方々の体験と南方で医療活動に従事した経験を持つ元軍医、元衛生兵の証言に基づき構成した野戦病院のジオラマ。ゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげる氏は、南方戦線で片腕を失ったので、このジオラマ作成時には助言をしたそうである。手術台の兵士は筋肉隆々の体育大学生から型を取ったと、オープン当時の学芸員が話してくれた。
乃村工藝社優秀展示作品のひとつである。
≪戦後の労苦≫
「終戦/占領そして戦後復興」
『昭和20(1945)年8月15日、戦争が終わりました。終戦により、連合国軍による占領政策が昭和27(1952)年まで実施されました。その占領政策の一つとして、昭和21(1946)年、それまで国から支給されていた軍人に対する年金(軍人恩給)が、重症の戦傷病者を除いて停止されました。
終戦直後の戦傷病者は、傷病をおった身であるために、一般の人に比べ、就職難、食糧難など、当時の社会状況 の影響をより大きく受けることになりました。しかしこの軍人恩給の停止により、戦傷病者がますます厳しい状況に置かれることになりました。』(ガイドブックより)
「経済成長とくらしの変化」
『昭和27(1952)年、サンフランシスコ平和条約が発効し日本は独立国となりました。こうした中で、同じ年に、国が戦傷病者の生活や医療の面で経済的な支えをすること(援護)を目的とした法律である戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定され、翌年の昭和28(1953)年には停止されていた軍人恩給が復活されるなど、戦傷病者に対する国の援護施策がようやく進められました。その後、社会が安定し経済成長の時代を迎えました坑戦傷病者にとっては、まだ就職や生活の不安が絶えない時代でした。』(ガイドブックより)
『戦傷病者に対する国の援護施策がようやく進められました。』とあるが、台湾籍と朝鮮・韓国籍の日本軍人は8月15日以降は「外国人」だと言うことで、何も政府から補償されていない理不尽な事態が現在まで続いている。
≪箱根療養所≫
『昭和15(1940)年、脊髄を損傷したため下半身麻癌の状態となり車椅子を使わなければならなくなるほどの重症のけがをおった傷兵(傷病軍人)のための唯一の収容施設として傷病軍人箱根療養所が作られました。この療養所に入った多くの傷兵は、戦中・戦後の長い期間、療養所の中で療養を続け、家族とともに生活をしています。』(ガイドブックより)
オープン当時は有名なこの写真は、絵葉書として来館者に無料で配布していた。
傷兵は全てお亡くになりましたが、現在は交通事故や労働災害による方々が療養生活をしている。
≪陸軍軍医学校と長谷川一夫≫
館内に「妻の労苦」を語ったファイルがあり、顔を戦傷した兵士が陸軍士官学校の整形外科で成功した手術の事例がある。
この前で下記のようなエピソードを話している。
『俳優長谷川一夫が松竹から東宝に移籍したときに、暴漢によって右頬をカミソリで切られた。
陸軍軍医学校で手術を受けたので顔に傷が残らなかったが、ブロマイドは左側からの写真だったと聞いたことがあった。軍医学校跡地から「人骨」が出土したことを調査している時に、元軍医学校勤務の日赤看護婦だった石井十世さん(故人)から実話であったと聞かされていた。』
常設展示室一階
図書室では次の図書を説明。
「森鴎外全集28〜34巻」陸軍軍医監森林太郎時代の論考
復刻版「陸軍防疫研究室研究論文集」石井四郎や内藤良作など陸軍731部隊での研究論文集
千田夏光著「甕の中の兵隊」
冨田晃弘著「兵隊画集 戒衣は破れたり」の慰安所風景
『「突撃一番」を靖国神社骨董市で』を参照して下さい。
「つづく」
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