メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

名護屋城跡1 大手口から天守台 

2011年05月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ(文字をクリック)

にほんブログ村 バイクブログ ツアラーへ(文字をクリック)
クリックして頂ければ幸いです。

名護屋城跡


名護屋城は、今から400年程前、全国平定をなしとげた豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国(今の中国)へ向けて出兵(文禄、慶長の役)するため、その前進根拠地として築かせた城です。
 
元は松浦党波多三河守親(ちかし)の家臣名護屋越前守経述の居城(垣添城)だったのを
大きく改造したものです。

加藤清正らに設計させ各大名に分担させてわずか5ヶ月で築かせたものです。
                        (名護屋城跡探訪マップより)          

黒田家文書(黒田家譜)によると縄張りは黒田如水、子の長政が惣奉行として諸侯に
工事の負担を指定、加藤清正、小西行長らが監督したことになっています。


工事の着工は天正十九年(1591)十月十日、竣工は翌、文禄元年(1592)二月でした。

竣工とはいえ城がすべて完成したのではなく、石垣の土木工事と天守や本丸など主要施設が
造られたというのが定説となっています。



名護屋城博物館 
立派な建物です。館内は撮影禁止でした。


名護屋城博物館内から大手口方面を見る
説明板



雨が降りそうでしたが城内を廻ることに
城内図 かなり広いです。


大手口前の広場から大手道方向


大手口 説明板


広い坂を登ります。


東出丸方向


櫓台


崩された石垣


東出丸


東出丸からの展望
曇りで展望がよくありません。


扇形の表示盤はここらか見える大名の陣を記しています。
ここからでも50近い陣が見えます。


三の丸へ


北方から見た三の丸。



水の手廓から本丸を見る


本丸下。工事中でした。


本丸に上がる道まで戻りました。


水手廓?定かではありません


本丸に上がってきました。


広いです
本丸の先に天守台跡があります。


さっきはこの下まで来ました。


天守台


天守台からの展望。無いです


次回 天守台からに続きます。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ