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薩摩は、幕末何故活躍できたのか 

2018年06月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



倒幕勢力の薩摩(鹿児島)と長州(山口)には共通点がある

 ☆関ヶ原で敗者=徳川に負けた藩
 (長州(毛利家)は徳川幕府に散々な処遇を受けた)
 ☆恨みが、幕末にいたる約300年大きなパワーとなった
 ☆薩摩は、薩英戦争で大英帝国と薩摩藩単独で戦争し互角の勝負をした
 (大英帝国旗艦の艦長と副艦を打ち取る)

薩摩の強力な経済力
 ☆徳川幕府は諸藩に力を持たせぬよう、参勤交代、普請工事等でお金を使わせた
 ☆幕末のころは、全国どの藩も経済は困窮、薩摩も収入の10倍以上の借金
 ☆薩摩は、財政改革の藩政を行い財務整理を慣行
 (大阪商人を味方にし、借金踏み倒しともいえる借財整理を実施)
 ☆「密貿易」 などで莫大な利益を上げ、藩政を見事立て直した
 ☆支藩(薩摩→奄美)の多大なる犠牲で、薩摩は大きな力をもてた
薩摩は、優秀な人材と最新的な武器を手にする
 ☆金があれば優秀な人材も雇え、武器を買うことも出来る
 ☆金を上手く使える人材が、その時期に登場した
 (薩摩→名君薩摩斉彬のもと西郷隆盛、大久保利通らの登場)
 (長州→木戸孝允、高杉晋作らの登場)
 ☆これを持てた薩摩が、倒幕勢力の中心になったのは自然の流れ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BSTBS諸説あり












薩摩は、幕末何故活躍できたのか(BSTBS諸説ありテレビ画面より画像引用)

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