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ピユーリタンはなぜ大西洋を渡ったのか 

2018年05月21日 外部ブログ記事
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旗印は「神の前で平等」と「王権神授説の否定」

太陽の沈まない国は意外に短命
 ☆「レパントの海戦」でスペインは、オスマントルコの最強海軍に壊滅的な打撃を与えた
 ☆イスラム勢力から地中海の制海権を奪ったスペインは絶頂期を迎える
 ☆新大陸の黄金、奴隷貿易などで莫大な富がイベリア半島に流れ込む
 ☆「太陽の沈まない帝国」を達成したスペインは、その富を後世に伝えることなく凋落する
 ☆原因は、西ヨーロッパで戦われた宗教戦争に戦費をつぎこみ続けたから
 ☆スペインは、新興プロテスタント諸国の後塵を拝す結果となる
宗教戦争の後に残ったもの
 ☆宗教戦争の凄惨な戦争の後に残ったものは今日の欧州諸国の原型
 ☆宗教改革のドイツでは、ルター派のプロテスタントが多数派となる
 (国土は著しく荒廃し、19世紀まで国力を回復しない)
 ☆プロテスタントはドイツはじめ、独立を呆たしたオランダ、北欧諸国に勢力を伸ばす
 ☆フランスやイギリスでは、教会勢力が衰えて、王の権力が強化され、絶対王政の時代を迎える
絶対王政の君主は「王権神授説」の立場を取る
 ☆ヨーロッパでは、教会と国王の対立構造でバランスをとっていた
 ☆国王の権力増大で、国を治める主権を持つ王は、神からその地位を与えられてるとの考え
 ☆教会と王侯は分離し、教会は政治や国家間の争いに対する影響力を失います
 ☆キリスト教社会では、「王は神からその地位を与えられた、何をしてもよい」との考え方が成立
 ☆人々の上に立つ資格を与える存在も神から与えられるという考え方は、日本人には理解しがたい
絶対王政を打ち破ったピューリタン革命
 ☆イギリスでは、英国国教会に対立していたプロテスタントの一派
 (清教徒(ピューリタン)がピューリタン革命を起こし、国王を一時排除)
 (反動が起きて再び王政に戻るが、清教徒は王権と結びついた保守的な英国国教会に反発)
 (カルヴアンの影響を受けた改革派は弾圧され、その一部がメイフラワー号で北米に渡る)
 (理想郷の建設をめざし、上陸地・プリマスに植民地を建設する)
 ☆フランス革命に先駆けて起きた、世界最初の市民革命
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』




旗印は「神の前で平等」と「王権神授説の否定」(ネットより画像引用)

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