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such is life
恋は
2018年05月09日
テーマ:such is life
「片恋(かたこい)」という言葉はかつて、ツルゲーネフの小説のタイトルで知った。
あとがきによると、原題はヒロインの呼び名である「アーシャ」だが、訳者の二葉亭四迷がその内容から「片恋」とした。
「恋」という言葉は不思議な魅力をもっている。
「恋」とは「恋う」こと。
「恋う」は、遠くにあるもの、手に入ってないものに対して、近づきたい、得たいと願うことである。
それはあくまで願いであって、獲得の満足感ではないだろう。
だからだろうか、私たちは「恋」という言葉に心の揺れを感しることがある。
近づいていいものか、得ていいものか。
そもそも自分は、きのうまでの自分てこんなに違っていいのだろうか。
この揺れに戸惑いながらも、逃げずに踏ん張っている人が、心を崩壊から守るために、揺れを言葉にする。
だから、恋を語る言葉はいつも真剣で正直で、人の心を打つ。
とはいうものの、翻す話になるが、若い頃に、友人の恋文を「代筆」したことがある。
「相手の女性」と「恋」に対して失礼であった。ごめんなさい。
救いは、その恋は成就しなかったことである。
こんどはその友人に失礼した。ごめんなさい。
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そうですね
such様、こんばんは。
そうですね。
「代筆」は、、いけません。ダメですね・・
ただ・・「代筆」にも・・ある思い出があります。
私は、商家の娘で、、幼い頃は
口減らし・・丁稚奉公・・色々な方が
住み込みで…我が家で力となって下さる方がいました。
義務教育も…すれすれのような方もいらっしゃいました。
その方の・・ある人の
「お母様」への手紙を代筆した事があります。
一字一字が・・文字が滲むような言葉でした。。
2018/05/09 20:00:41