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such is life
ウマイもの
2018年05月03日
テーマ:such is life
「貧乏人はモノの味をよく知ってる、貧乏人ほどウマイものを食べている」
ある老舗の料亭のご主人が語っているのを読んだことがある。
このウマイものが、栄養たっぷりでウマイものなのか、それとも文字通り、見た眼にも食べた舌をも唸らせるものなのかは、よくわからない。
かつて仕事で暮らしたことのあるタイのバンコク校外でよく食べた「ジョク」もその一つではないだろうか。
これはモツの入った粥で、中国の人が好んで食べるので中国粥とも呼ばれている。
不潔っぽく、貧しいが活力にみちみちている屋台街を歩くと、とくに朝方混んでいる屋台がそれで、
何やらびしゃびしゃに濡れた、やせた筋肉質のたくましい指でジョクのどんぶり鉢を出される。
ふちが欠けているどんぶり鉢のなかではお粥がホカホカと湯気をたて、何片もの混沌物が浮沈している。
そのどんぶり鉢を受け取り、ひきつれたような笑顔をつくって、垢が落ちないようなお箸でもって、いただくとする。
屋台の向かいの席では、サムローと呼ばれる輪タクの運ちゃんや、正体不明のおっさんが肩を並べてこちらを見てニタリ、
歯を剥き出して笑うが、どう応えてよいかわからず、ただ口を柔らかく曲げて会釈をかえす。
お箸でつまんだのは牛か豚かの、胃、腸、肝臓、腎臓、心臓、子宮などであったが
それがきちんと血抜きされているのでヘンな匂いがどこにもな
く、
とろとろに煮とかされて、個性と滋味をそれぞれに保ちつつお粥のなかにとけこんでいる。
人によっては、あくどさの極みと思われているモツが、淡泊の極みと思われるお粥に、みごとというしかないほどに、とけあっていることを知らされる。
価値観のちがうモノが出会っても、そこにあるのは分裂ではなく歓びであることも知らされることになる。
そうして、高級レストランでは、その雰囲気を含めて味わうことができない、という意味で、
「貧乏人ほどウマイものを食べている」に合点がいくのである。
誰のためかくも美しい五月かな
風来
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