such is life

ワカちゃん 

2018年05月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:such is life

横浜市の東南の小さな町で、ぼくは生まれた。

小学生のころ、町内にひとり頭の「ほんわか」とした人物がいた。ほんわかしているからだろう、みんなは「ワカちゃん」と呼んでいた。

ワカちゃんはその種の人物によく見かけられる特徴だが、顔をいくら見ても、年齢のつけようがなかった。

30歳に見えることもあったし、50歳と見えることもあった。

のっぺりとした顔はいつ見ても真っ黒に日焼けがし、歩き方が少し不器用で、全身にチカラをうまく配分できないような動作をし、ほとんど口をきくことはないのだけれど、いつもニコニコ笑い、眼はいきいきとしていた。

ワカちゃんは、ぼくたち子供と混じってセミとりやフナ釣りに野山に繰り出すこともあったが、

ほんわかしているものだから、トンボをせっかくとってもじっと持っていることができないし、フナをバケツにつかんで入れることがてきず、ただただマジマジと眺めているだけであった。

そんなことだから、じれったくなった子供たちに罵られたり、叱られたり、ときに水をかけられたりした。

息子くらい年のちがう腕白たちにバカにされながらワカちゃんはニコニコ笑い、眼をいきいきとさせて、ただその場でお地蔵さまみたいに佇んでいるだけであった。


トンボ釣りやフナとりはワカちゃんにとっては、わずらわしすぎるし、難しすぎる遊びであったのだろう。

ワカちゃんは目的なく、チンチン電車と呼ばれた市電に乗ることを好んだ。

ワカちゃんは行き先地を決めずに電車に乗り、先頭の運転席の横に立ち、ひたすら前方を眺め、何時間見ていても飽きることがないようであった。

ワカちゃんのことを、誰もが「危険」だとは思わず、むしろホッと一息つける気持ちになったものである。

ぼくの印象では、そのころはどこの町内にもきっと一人はこういう人物が、施設等に入れらることなく、住んでいたものである。

町の人たちは、ワカちゃんを見かけると
「きょうはどこまで行ったの?」とか「信号には気をつけなさい」等と声をかけることもあった。

ワカちゃんはニコニコ笑ってゆったりとしたそぶりでうなずき、たいていは寡黙なまますぎてゆくが、

ときに、ゆらゆらと頭をふって
「毎日忙しくてね」と答えることもあった。


ぼくが高校生になって、何もかも薄汚くみえて、やりきれなくなっているときに、町でワカちゃんを見かけたことがある。

やせこけてのっぺりとした顔は、いよいよ日焼けして黒くなり、

少し皺がふえたようで、ちょっと頭が禿げかかってきたらしい気配だが、微笑はやはり新鮮で、眼はまえにもましていきいきとしているのである。

ワカちゃんに、ニコニコ笑いながらジッと顔を見られるとぼくは、

名状しようのない幸福感が起こるのを感じ、

理由のわからない涙か流れるのであった。


犬の目はかくも清らか五月かな
風来



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