such is life

夜がくる 

2018年04月29日 ナビトモブログ記事
テーマ:such is life

夜がくる。
身体が元気なころは、親密でしっとりとした、人をそそのかすような夜であった。

連休は、調子もいまひとつなので、雑踏に紛れ込むことなく、想像を楽しむことにする。


夜の早い時間には、何かしら、新しいワインのコルクを抜いたようなところがある。

あてどない何か期待を抱かせるものがある。

週でいえば、金曜日の黄昏のようなものがある。



その店は、古い煉瓦敷の床に落花生の殻がカーペットのように敷き詰められている。落花生はこの店のツマミである。落花生の殻は消臭効果があるそうで、落花生のほのかに芳ばしい香りで、鼻も眼もおだやかに鎮まるような気がする。

手垢や肘になじんですっかり丸くなってしまったカウンターにもたれ、落花生のツンとした香りを鼻先におぼえつつ、一杯の冷えきったドライ・マーティニをまえにし、

薄暗いなかでたったひとり非情も温情もなく放心している。

ここには激昂した若い男や、軽薄な色に着飾った若い女もいない。


彼はソフィア空港で別れるときに、シベリアを横断して必ず日本に戻ってくるといった。

京都で生まれ育った彼は、勤め人はむかないと、小さなジャズ喫茶をはじめた。

そのうちに、客の話にのめり込み、シベリアに蝶を探しにいくといって、モスクワに行った。

彼とは、ローズオイルの仕事で滞在したソフィアで会った。

蝶はまだ見つかってないが、「京の男」というのは、こんなものだと笑って、やりきれなさを跳ばしているようだった。

彼はシベリアで行方不明になった、とあとになって聞いた。

それを言った男に会って確かめたが、あやふやだった。その男も、京の男というのはそういうものだと、自分に言い聞かせていた。

カウンターで、そんなことを考えていたら、大きな溜め息を、二三度、ついたらしい。

カウンターの隣の女性がクスッと笑った。

ハッとしてぼくは手で口を閉ざした。そしてしばらくじっとしたままでいた。



京土産いつまでつづく筍飯
風来



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