such is life

思案にくれたら 

2018年04月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:such is life

思案、憂鬱、不安、妄想、怒り、孤立感などさまざまなものを抱いて天井を見ている。

何かで読んだ。
思案にくれたときは、あせらず、それを虫のカナブンのように頭のまわりを飛ぶままに飛ばせておけ。

ただしヒモだけはしっかりと手に握っておくことである。

やがてカナブンはくたびれて落ちてくるから、

そのときに、手にとって眺めたらいいのである。

それらの憂鬱や不安には形をなしているものもあり、いないものもあり、原因が明瞭すぎてやりきれないものもあり、朦朧すぎて耐えるのが辛すぎるものもある。

けれども、それらはしばらく頭のまわりを飛ばせておこう。

ヒモはしっかりと握っておくことにするが、そのヒモを考える。

ぼくがいま、ヒモとしているものの一つに俳句がある。

俳句は、ごく一瞬に通り過ぎていってしまう感覚をとらえているように思う。

楽しいような、淋しいような、うれしいような、せつないような、

喜怒哀楽といったものでは分類しようもない「心の間」のような感覚が自分のなかに生まれるのである。

俳句は憂鬱や不安の形を選ばないので、冒頭のヒモにすることができるのである。


旅の本めくる初夏のおくれ髪
風来



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つちのえさん

suchさん

ある俳人が言っていました。

「短歌は情熱の詩であり、俳句は諦めの詩である。

短歌は悩みの詩であり、俳句は悟りの詩である」

ぼくなりに解釈すると、
短歌は懺悔、俳句は祈りの詩であるように思います。

思いを述べないで、祈るもの、

つまり、文字になっていない余白に祈りが込められていると思います。

2018/04/26 20:56:30

俳句

つちのえさん

俳句はを詠める人になりたいので
suchさんのブログは
たいへん勉強になります。
紐に結んだ思いが頭上を飛んでいる
イメージをすればよろしいのですね。
いろんな思いに
押しつぶされそうな時は
そうやって自分の思いを取り出して
楽しんでみることにします。
その思いは時には
飛行機であったり
チョウチョであったり
物事を客観的に捉える練習
にもなるかもしれませんね。

2018/04/26 20:02:39

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