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「靖国神社と九段下周辺」の感想文 

2018年04月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



明治150年シリーズ「靖国神社と九段下周辺」の感想文が寄稿されましたので、アップします。

世田谷区議会議員ひうち優子さん(原文のママ)
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長谷川様
昨日は楽しく充実した一日を過ごすことができました。ありがとうございました。
また、ブログを拝見しました。私のことも取り上げてくださり、本当に嬉しく思います。ありがとうございます。
昨日の感想ですが、まず、長谷川様の解説がとてもわかりやすかったのが、印象的でした。素晴らしかったです。ありがとうございます。
また、靖国神社の遊就館に入ったのは初めてでして、いろいろと考えさせられる一日でした。まず、日本国のために戦い命を捧げた方々に、敬意を表しないといけない、と思いました。今の日本、また私達は、先人の方々の犠牲の上に成り立っているのだと、改めて実感しました。涙が出てくるくらい、心に響くものがありました。
その上で、なぜ日本が敗戦したのか、概要を知ることができました。相手の国力をきちんと分析した上で戦略を考える必要があったのではないか、本質とは何かを見失わず追求していくべきだったのではないかなぁと思いました。私も偉そうなことは言えませんが、1人1人の命がかかっていることを、上に立つ者は考える必要があったと思います。
湯川さんの言葉、「生き残ったのではなく、生かされている。」がとても印象に残りました。【注】
本当に勉強になりました。ありがとうございました。
母も長谷川様の解説が素晴らしく、また参加したい、と申しております。
次回、5月20日、母と一緒に参加させていただきます。よろしくお願いいたします。
ひうち優子
(昨日は、皆様に私の紹介をしてくださり、本当に嬉しく思いました。ありがとうございました。また次回も、よろしくお願いいたします!)


【注】Facebook湯川武弘(元回天搭乗員・甲飛13期生)
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都内のある女子中等高等学校教師の方(原文のママ)
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長谷川順一様
本日は、東京の戦争遺跡を歩く会に参加させていただき、ありがとうございました。
まず九段下をご案内いただき、50年以上東京の近くに住みながら、知らないことがたくさんあることを改めて認識しました。
靖国神社も今日が初めてでした。
軍、天皇、神社の三位一体を大変不気味に感じるとともに、それが過去の遺物ではなく、今なお政治家が参拝しているということは、本当に驚きです。
また、遊就館の単眼的な展示からは、先の大戦に対する考察や反省は微塵もなく、ただ古代からの戦争物語の延長のようです。
支那事変、大東亜戦争の用語もそのままですし、南京事件は都合の良い書き方がされていましたね。
およそ博物館や資料館というものとは、遊就館は異なるものであると思いました。
あっという間の4時間半で、大変勉強になりました。
もう400回も靖国神社のガイドをされてこられたとのこと、本当にすごいことだと思います。
「竹矢来」読みました。【注】
戦争中、理不尽な死や苦痛は、戦場だけでなく、アメリカ軍の攻撃によるものでもなく、日本という国の内にあったことがよくわかります。
戦争について、戦争観について、いろいろ考えさせられた一日でした。
気温の変化の激しい折、お身体にお気をつけ下さい。
まずは御礼まで。
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散文詩「竹夜来」
京 土竜 「しんぶん赤旗」1989年2月4日付「読者の文芸」に初出

  岡山県上房郡 五月の山村に
  時ならぬエンジン音が谺(こだま)した
  運転するのは憲兵下士官
  サイドカーには憲兵大尉
  行き先は村役場

  威丈高に怒鳴る大尉の前に
  村長と徴兵係とが土下座していた
  --- 貴様ラッ!責任ヲドウ取ルカッ!
  老村長の額から首筋に脂汗が浮き
  徴兵係は断末魔のように痙(けい)攣(れん)した

  大尉は二人を案内に一軒の家に入った
  ---川上総一ノ父親ハ貴様カ コノ 国賊メガッ!

  父にも母にも祖父にも
  なんのことか解らなかった
  やっと理解できた時
  三人はその場に崩れた
  総一は入隊後一カ月で脱走した
  聯(れん)隊(たい)捜索の三日を過ぎ
  事件は憲兵隊に移された
  憲兵の捜査網は二日目に彼を追い詰めた
  断崖から身を躍らせて総一は自殺した

  勝ち誇った憲兵大尉が全員を睨み回して怒鳴った
  --- 貴様ラ ドウ始末シテ天皇陛下ニオ詫ビスルカッ!
  不安気に覗き込む村人を
  ジロッと睨んだ大尉が一喝した
  ---貴様ラモ同罪ダッ!
  戦慄は村中を突き抜けて走った

  翌朝 青年団総出の作業が始まった
  裏山から伐り出された孟宗竹で
  家の周囲に竹矢来が組まれた
  その外側に掛けられた大きな木札には
  墨(ぼつ)痕(こん)鮮やかに

  国賊の家

  ---あの子に罪ゃ無ぇ 兵隊にゃ向かん 
  優しい子に育ててしもた
  ウチが悪かったんジャ
  母親の頬を涙が濡らした
  ---わしゃ長生きし過ぎた 
  戦争せぇおこらにゃ 
  乙種の男まで 兵隊に取られるこたぁなかった
  日露戦争に参加した祖父が歎いた

  ---これじゃ学校に行けんガナ
  当惑する弟の昭二に
  母は答えられなかった
  ---友達も迎えに来るケン
  父親が呻くように言った
  ---お前にゃもう 学校も友達も無ぇ 
  ワシらにゃ 村も国も無うなった
  納得しない昭二が竹矢来に近づいとき
  昨日までの親友が投げる石(いし)礫(つぶて)が飛んだ
  ---国賊の子!!
  女の先生が 顔を伏せて去った

  村役場で歓待を受けていた大尉は
  竹矢来の完成報告に満足した
  ---ヨシ 帰ルゾ 
  オ前ラ田舎者ハ知ルマイカラ 
  オレガ書イトイテヤッタ
  アトハ 本人ノ署名ダケジャ
  彼は一枚の便箋を渡して引き揚げた
  大尉の残した便箋は
  村長を蒼白な石像に変えた
  石像は夜更けに 竹矢来を訪れた

  三日後 一家の死が確認された
  昭二少年の首には 母の愛の正(しよう)絹(けん)の帯揚げ
  梁(はり)に下がった大人三人の中央は父親
  大きく見開かれたままの彼の眼は
  欄(らん)間(ま)に掛けられた
  天皇・皇后の写真を凝視していた

  足元に置かれた 便箋の遺書には
  「不忠ノ子ヲ育テマシタ罪 一家一族ノ死ヲ以ッテ 
  天皇陛下ニお詫ビ申シ上ゲマス」

  村長は戸籍謄本を焼却処分した
  村には 不忠の非国民はいなかった
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平和文化刊「学び・調べ・考えよう フィールドワーク 靖国神社・遊就館」共著 東海林次男・長谷川順一・森田俊男・渡辺賢二
をテキストとして買って頂き、管理人手製の資料A4・17Pを配布しました。
散文詩「竹夜来」は、配付資料に掲載しています。

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