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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は 放蕩息子の なれの果て 

2018年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



【誹諧・武玉川】に こんなのがあった。6755 10-18 「尺八で 来る 親族の屑(クズ) 」 解説に「虚無僧は放蕩息子の なれの果て」と。ゲゲゲのゲ。私のことか?母は言う。「私の遺言だと思って、(虚無僧を)やめてくれ」と。「子供(私の娘)が かわいそう。結婚式で、父親は“虚無僧”なんて恥ずかしくて言えない」と。「虚無僧は恥ずかしい職業」なのか。「虚無僧はプライドを捨てる修行だ」と言うと、母は「私は、プライドをもって生きてきた。プライドだけは捨てられない」と。母に逆らう放蕩息子である。そういえば、虚無僧の日本開祖は「法燈(ほうとう)国師」だったな。(笑ってチョ)☆「誹諧(はいかい)」とは? 「江戸時代中頃に流行った、川柳のようなもの。 川柳ほど わざとらしさや毒がなく、脱力系・ 癒し系の良さがある」そうだ。そう、虚無僧も「力を抜いて、徘徊する、癒し系」でござる。

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