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平成の虚無僧一路の日記

「売れるもの」を創ろうとするな 

2018年04月15日 外部ブログ記事
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平櫛 田中(ひらくしでんちゅう)。明治5(1872)− 昭和54(1979)年高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び、日本を代表する彫刻家。代表作は国立劇場にある「鏡獅子」。昭和37(1962)年、文化勲章を授章され、皇居での伝達式の日、天皇陛下から「あなたが一番苦心されたことは、どんなことですか」と、尋ねられ、田中は「それは、おまんまを食べることでした」と答えたとか。明治の初め、仏教が下火になり、仏像彫刻で暮らしをたてることは大変だった。どのようなモノを作れば売れるのか、悩んでいる時、岡倉天心の言葉、「売れそうなモノを作ろうとするから、売れない。売れないものを作りなさい。そうすれば、必ず売れます」を耳にする。その言葉を聞いて、田中は「ただ一心に、自分が作りたいものを作る」ことに専念した。六代目「尾上菊五郎」をモデルにした「鏡獅子」は20年の歳月をかけて完成させた。その時には、もう、菊五郎は故人となっていた。この「鏡獅子」の像は、国立劇場が2億円で買いたいと言ってきたが、平櫛田中は「これは尾上菊五郎と二人で作り上げたもの。私だけが金を受け取るわけにはいかない」と、寄贈してしまった。100歳の時、あと30年分の彫刻用木材を購入して話題になった。千代田生命の上智の研修センターは、元「福沢桃介」と「お房」さんの邸宅があった所。恵比寿駅の東、小高い丘は「福沢山」と呼ばれていた。邸内には、舞台を備えた演芸場があり、そのロビーに置かれていた「裸婦像」が 「平櫛田中(でんちゅう)」の作品だった。戦後、桃介の息子たちが困窮し、慶応と縁の深い千代田生命が450坪の土地を1万5千円で購入。当面は社員寮として使われていた。

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