メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「総州山室譜伝記」 

2011年05月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「飯櫃(いびつ)城」のある芝山町の役場で『総州山室譜伝記』を
借りてきた。江戸時代の宝暦年間(1751年〜1763年)に書かれた
ものだが、小さな活字本にして 80ページにも及ぶ相当な内容
である。

飯櫃城籠城時の山室一族の名は、当主の山室常陸守光勝を
はじめ、長男 山室宮内卿光慶、二男右馬頭光重、三男大内
蔵丞重昌、一門の山室弾正左衛門、同太郎通勝、教勝、忠勝、
山室伊勢守忠隆、山室肥前守長隆、と10人も列記されている。

そして、合戦の様子をこと細かに記した後、当主の光勝は
自害したが、一族は逃げ延びたこと。長男 光慶と 妻お藤の方、
その子梅千代丸勝延、落城後に生まれた清兵衛蔵人、光勝の
二男光重、三男重昌は 民家に下り(武士を捨て)、菱田村
殿部田に居を構えて住んだという。

私の母方の祖「山室筑後守」の名は無かったが、「常陸、
伊勢、肥前」と国名を冠している人が多いことからも、
「山室氏」の先祖は、「下総山室」の一族ではなかった
かと思える。

それにしても、飯櫃城の山室一族は滅びても、「山室」と
いう地名や 城跡が残っていることには 感動を覚えた。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ