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平成の虚無僧一路の日記

一休とんち話『この橋渡るべからず』に込められた真意 

2018年03月20日 外部ブログ記事
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後小松天皇の御落胤であった一休は、天皇になるべき人でしたが、義満が自分の子「義嗣」を天皇にするために安国寺に押し込められていました。義満が亡くなり、義嗣の立太子の件も反故にされたのですから、一休に「立太子」の話が舞い込んできます。この時一休17歳。将軍「義持」自ら、一休の元に赴きますが、一休は 将軍様に対して「あかんべぇ」をして追い返したといいます。そして後小松天皇からも呼び出しを受け、次の天皇を相談されるのですが、一休は天皇の位を弟に譲るのです。もし一休が天皇になっていれば、101代天皇になれたのでした。応永元年1月1日生ですから、よくよく「1」に縁のある人です。一休は、天皇の位も肩書きも捨てて、一生を托鉢僧として生きる覚悟を決めたのでした。「一休とんち話」の『この橋渡るべからず』は、どちらの端にもこだわらない中道を説いたものですが、そこには、一休は父が北朝の天皇、母が南朝の楠木という、全く相反する対極にある血を受け継いでおり、南朝からも天皇に祀り上げられる存在でありながら、北にも南にも与しない生き方を選んだという深い意味が込められているのです。

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