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靖国神社徳川康久宮司が退任、後任に元伊勢神宮禰宜の小堀邦夫氏が就任 

2018年03月01日 外部ブログ記事
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報道によると、靖国神社は28日、徳川康久宮司(69)が同日付で退任し、後任に元伊勢神宮禰宜の小堀邦夫氏(67)が3月1日付で就任すると発表した。
徳川元宮司は、官軍を西軍に賊軍を東軍と呼称して、賊軍も英霊として合祀すべきだと主張していたので辞任に追い込まれたと考えられる。
筑波藤麿宮司時代に「鎮霊社」が建立されたが、ここには賊軍の戦没者も、広島・長崎の原爆や東京大空襲の戦没者も合祀しているのだから、この祠で我慢をしていれば良かったのだ。

そもそも戦前の「社憲」からGHQの指導で決めた現在の「社憲 第二条」に「本神社は、御創立の精神に基き」とあるが、「前文 本神社は明治天皇の思召に基き、嘉永6年以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎」となっているように、ペリー来航以来の薩長士肥側の戦没者と新政府軍側の戦没者を、明治二年創建の「東京招魂社」に合祀したのである。

遊就館展示室5「靖国神社の創始」パネル「六 戊辰戦争――諸道の招魂祭」に「官軍が江戸城に入城して、東征軍大総督は陣没者の招魂祭執行を布告した。参戦各藩には戦没者の名簿を作成して、すみやかに提出するよう示達された。」とあるように、明治元年江戸城西の丸で執行された招魂祭は「参戦各藩」即ち新政府軍(官軍)の戦没者だけであった。これが「明治天皇の思し召し」なのである。
尚、「禁門の変」で京都御所を警護して死んだ会津藩士35人は「官軍」であったので合祀されている。

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靖国神社社憲(昭和27年9月30日制定)(抄)
前 文
本神社は明治天皇の思召に基き、嘉永6年以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治2年6月29日創立せられた神社である。いやしくも本神社に職を奉ずる者は、その任の軽重、職域の如何を問はず、深く本神社を信奉し、祭神の御神徳を体し、清明を以てその任に当り、祭祀を厳修し、祭神の遺族崇敬者を教導し、御社運の隆昌を計り、以て万世にゆるぎなき太平の基を開き、本神社御創立のよって立つ安国の理想の実現に一意邁進しなければならない。
第1章
総 則
第1条
(名 称)本神社は靖国神社と称する。
第2条
(目 的)本神社は、御創立の精神に基き、祭祀を執行し、祭神の神徳を弘め、その理想を祭神の遺族崇敬者及び一般に宣揚普及し、社運の隆昌を計り、万世にゆるぎなき太平の基を開き、以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。
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鎮霊社

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