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聖徳記念絵畫館「73凱旋觀艦式・74凱旋觀兵式」 〜靖国神社の例大祭日〜 ? 

2018年02月09日 外部ブログ記事
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聖徳記念絵畫館「73 凱旋觀艦式・74 凱旋觀兵式」がある。









戦前の靖国神社春季例大祭は陸軍青山練兵場に於ける観兵式の日である4月30日、秋季例大祭は横浜沖観艦式の日10月23日だった。
敗戦後、「靖国神社の非軍国主義化」がGHQによって厳しくすすめられた中で、『 例祭日は1946年9月9日「靖国神社例祭規程」の一部改正によって、旧暦の春分・秋分の日を新暦に換算し、春季の例祭は4月22日、秋季のそれは10月18日とすることを決める。改正の理由は、従来の日露戦争戦勝記念日では、「近く戦争放棄を宣言せる新憲法の発布を見んとする時、新発足の途上にある当神社に於いて、此の両日を例祭日として存続せらるるは相応しからざる故に」というものであった。』『勅使が参向する例祭日など特定重要事項は、宮内省の了承なしに、神社が一方的に決定できないという認識に立っていることを意味している。 』(赤澤史朗著「靖国神社」)

神社境内「神門」手前の青銅製鳥居(第2鳥居)下の左右に「高札」があるが、右側が重要である。










例大祭日
四月二十二日
十月十八日
勅裁件如
靖国神社 

靖国平和ガイドをしている数年前のことだった。
この高札近くに「英霊にこたえる会」がテントを張って「靖国カレンダー」を販売している時だから、多分12月または1月だったと記憶している。
右翼活動家のN氏がテント内にいたので、高札の説明をやろうか、止めようかと一瞬迷ったが思い切ってマイクで話し始めた。
『戦前の例大祭日は、日露戦争に勝利した陸海軍が観兵式と観艦式を行った記念日である4月30日と10月23日でした。終戦後、GHQは神社を壊してしまえ焼いてしまえと考えましたが、マッカーサー元帥は上智大学のビッテル神父に諮問しました。神父は宗教施設は大事にしなければならないと元帥に答申しました。ビッテル神父のお陰で存続できたと神社の公式文書にあります。神社は“平和な神社”にしますと誓いましたので、陸海軍の国有財産だった建物も土地も全て宗教法人靖国神社へ払い下げられました。戦勝記念日だった例大祭も旧暦の春分秋分の日を新たな祭日としました。しかしその事も天皇陛下のご裁可が必要だったことがこの高札が証明しています。ちょくさい くだんの ごとし。』
N氏とテントの中の人達は、管理人のガイドを黙って聞いていた。

遊就館展示室5【靖国神社の創祀】のパネル
 招魂社の祭日
 はじめ戊辰戦争の戦歿者を祀る
 東京招魂社の祭日は、
 鳥羽伏見の戦いの起こった一月三日、
 江戸上野の彰義隊潰走の五月十五日、
 会津降伏の九月二十二日、
 箱館落城の五月十八日に定められ
 各鎮撫総督隷下の諸藩出身戦歿者を記念する祭日に定めた。

この祭日から見えてくるものは、新政府軍戦勝記念日であり、江戸から遷都東京になっても、お殿様徳川家に親近感を抱きながら「薩摩の芋侍め」と蔑視する東京府民に対して薩長政府の正当性をアピールする目的だ。






 

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