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独りディナー
グレービーソース
2018年01月27日
テーマ:カナダ
一年間のオタワ在住が充実したのは、様々な幸運に恵まれたお陰である。
まず、住居は主人の勤務先の近くで、郊外だったのだが近くのバス停から乗り換えなしに、中心地へ行くことが出来た。
幸運の一つには、日本の音大での客員教授を終えたばかりの、オタワ大ピアノ科主任教授のS氏に紹介された事もある。
紹介状を書いては貰ったものの、これから何をしようかという展望は全く無かったのだけど・・。
子供達の学校も決まって、一段落した頃、まず電話をしてみた。
「I would like to see you.(お会いしたいのですが)」と、只シンプルに言うと、
「じゃあ、レッスンを見に来ませんか」と言って、時間と場所を指定してくれた。
調べてみると、オタワ大へ行くには、件のバスの終点で降りてすぐなのであった。
初めて会う、S教授は実に気さくな人で、私が「教授のレッスンを毎週きいて、音楽雑誌に記事として送りたいと思って居る」というと、大いに歓迎してくれた。
それから毎週、火曜日には氏のレッスン室で色々な人に紹介された。
もし時間があったら、「音楽史」の講義も聞いてみませんか、と誘われてこちらにも顔を出すことにした。
英語圏とフランス語圏を抱えるカナダだけあって、オタワ大学は、世界最大のバイリンガル大学だということだった。
たった一つの講義を覗いただけだが、それは実に面白い経験だった。
学生達の殆どはバイリンガルなのだが、アメリカやヨーロッパからの留学生達は、人によって母国語が異なる。
という訳で、そのクラスは使われる言語が、今週は英語、翌週はフランス語という風に、毎週交代するのだった。
それでも学生は、質問するときは自分の母国語で話すから、教授もごく自然にその言語で答えるし、そして一段落すると、本来の言葉に戻るのも自然だった。
私は、フランス語は全くわからないのだが、それでも内容はよく知っている音楽史だから、それなりに楽しむことができた。
30年くらい前の事だし、まだ今ほどの情報量がなかったので、「成る程、これは本場の人だから知り得るエピソードなのかも」などと、思ったりもした。
お昼ご飯は、学食もよく利用した。
一般的なカフェテリアなのだが、フライドポテトとか、マッシュポテトのお皿を並べると、必ずキッチンの人に「グレービーソース?」と訊かれて、「イエス」と答えると上にかけてくれた。
それが中々美味しかったのだ。
大学の側には、リドーセンターという超大型のショッピングセンターがあった。
追記
グレービーソースをかけたフライドポテトは、「プーティン」というカナダ独特の食べ方らしいです。
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子供の世界
本当に可哀そうな事をしました。
置き去りにされそうな感覚だったかもしれません。
つい上の子を、母親の勝手で大人扱いしてしまうのです。
子供の世界を想像するおもいやりに欠けていました。
2018/01/29 22:49:54
母親
私が3歳くらいの時の事件を、思い出しました。
朝、起きたら母がいません。
近所で、自転に乗る練習をしていたそうです。
帰って来ないのではと、本気で心配しました。
子供にとって、母親は絶対です。
その点、父親は損ですね。
結局、母は、自転車に乗れるようには、なりませんでした。
2018/01/29 22:25:55