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金地院崇伝(黒幕・悪政者) 

2018年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



江戸幕府に影響大の「黒衣の宰相」

金地院崇伝(こんちいんすうでん)プロフィール
 ☆武家の名門一色氏一門に生まれ、南禅寺や醍醐寺三宝院で修行する
 ☆37歳で臨済宗五山派の最高位南禅寺の住職となる
 ☆徳川家康に招かれ、外交事務を任される
 ☆幕政にも参加し、天下の国政に深く関わる
金地院崇伝功績
 ☆「諸宗寺院法度」「禁中並公家諸法度」「武家諸法度」など幕府の基本方針の起草、制定
 ☆豊臣秀頼が方広寺大仏復興の「国家安康 君巨豊楽」に言いがかりをつけた
 (大坂冬の陣のきっかけを作った)
 ☆朝幕関係で、最大の確執紫衣事件が起こる
 (崇伝は、沢庵と玉室を流罪に追い込み厳しさを見せた)
 ☆家康の窓口を務めるほどの権勢から、民衆には「欲深き悪僧」と囁かれた
 ☆南光坊天海とともに「黒衣の宰相」と呼ばれるほどの力を誇る
家康が死去する
 ☆崇伝は神号を明神として祀ろうと主張
 ☆権現を主張する天海と争うが最終的に敗れる
 ☆天海にその地位を奪われることとなってしまう
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人』




金地院崇伝(黒幕・悪政者)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)

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