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訪中レポート?80年目の謝罪「父の重罪に許しを乞うため此処に座す」 

2018年01月09日 外部ブログ記事
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2000年7月7日新宿平和委員会主催の「中国を訪ねる平和の旅」一行は、北京郊外にある「中国人民抗日戦争祈念館」の張承釣館長と大広間で懇談した。
館長は日本の加害責任について次のことを強調した。
?日本が侵略した時間が長い「100年」
?日本軍が死傷させた人数が多い「3500万人」
?広大な土地を占領したのが「中国の大半」
?中国の損害額が大きい「6000億ドル」
?日本軍の手段が残虐である「例えば関東軍731部隊のように世界法規にも反する残虐さ」

帰国後は、この言葉がずしりと心の底に沈んでいった。
「第二次上海事変」と「関特演」で出征した亡父が中国大陸で何をしてきたのか。「父親の罪証探し」をしながら、関東軍731部隊犠牲者や遺棄毒ガス中国人被害者の裁判支援運動に尽力した。

1945年8月15日午前11時(日本時間)、蒋介石総統が重慶より全中国と全世界に向けてラジオ放送で「告文」を発表した。
(翻訳、長谷川太郎氏)
(前略)
 わが中国の同胞よ、「既往をとがめず、徳をもって怨みに報いる」ことこそ、中国文化の最も貴重な伝統精神であると肝に銘じて欲しい。
 われらは終始一貫、ただ侵略をこととする日本軍閥のみを敵とし、日本人民は敵とししない旨を声明してきた。今日敵軍はすでに連合国に打倒されたので、一切の降伏条項を忠実に遂行するよう、もちろん厳重に監督すべきである。しかし、けして報復したり、更に敵国の無辜の人民に対して、侮辱を加えてはならない。われらはただ日本人民が、軍閥に駆使されてきたことに同情を寄せ、錯誤と罪悪から、抜け出ることだけを望むのである。もし暴行をもって敵の過去の暴行に応え、奴隷的侮辱をもって、誤れる優越感に報いるなら、怨みはさらに怨みを呼び、永遠に止まる所ががない。これはけしてわが正義の師の目的ではなく、我が中国の一人一人が、今日特に留意すべきところである。
(以下略)

中国大陸から復員した兵士、帰国した居留民そして国民も、この蒋介石の「寛容」に甘えているのではないだろうか。
亡父が所属した陸軍第九師団第九輜重連隊は、南京大虐殺に直接関わらなかったかも知れないが、弾薬、糧秣類を運んだ加害責任があることは軍事的にも明らかである。

2007年12月13日の南京大虐殺遭遇同胞祈念館70年式典に参列した後、把江門公園で献花をした。
昨年12月13日の80周年祈念式典に参加したかったが、国家級祈念館となったので一般旅行者は参列が不可となったので、今回催行された富士国際旅行社のツアーに参加し、28日に300,000と刻まれた祈念館広場で献花をした。

献花に付けたリボンには次の文字を入れた。
『旧陸軍第九師団輜重兵第九連隊二等兵故長谷川幸二の長男
 元日本共産党新宿区議会議員長谷川順一
 中国を侵略した日本軍は父たちが運んだ砲弾・銃弾で中国人を虐殺した
 その重罪を謝り赦しを乞う爲七十歳で献花、八十歳で此処に座す
            二〇一七年一二月二八日』





妻と参列した70周年祈念式典







ジョン・ラーベ祈念館前で



訪中レポート(完)

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