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葵から菊へ
訪中レポート?日中の上海激戦地「淞滬抗戦祈念館と四行倉庫抗日戦争祈念館を見学」
2018年01月06日
テーマ:テーマ無し
笠原十九司著「日中戦争 上」から引用する。
『軍人としては高齢で中風の持病をもち、しかも上海のような国際大都市の攻防をめぐる航空部隊まで投入した近代戦・陣地戦を作戦指揮した経験がまったくない松井石根のような軍人を、ただ陸軍最高位の大将という理由で任命したことは、日本の軍隊が年功序列の官僚組織であったことの証左である。この欠陥が、後述する南京大虐殺事件(南京事件と略称)を引き起こすことになる。
蒋介石は、日中戦争が不可避となった場合は、欧米列強の利権が錯綜する上海地域に日本軍の主力をひきつけて消耗戦を強いて、日本の「一撃論」すなわち速戦即決作戦を挫折させて長期持久戦に引きずりこみ、この間に、アメリカやイギリスの武力干渉を引き起こすか、あるいは国際連盟加盟国や九ヶ国条約加盟国による対日軍事制裁・経済制裁を引き出すこと、さらにはソ連の対日戦争発動をもうながす戦略をたて、そのための防衛陣地の構築を進めていた。そして、蒋介石は上海戦(中国では淞滬抗戦と称する)に最大勢力をつぎこみ、しかも国民政府の精鋭部隊のほとんどを投入した。ドイツ製武器を装備し、ドイツ陸軍式に訓練された精鋭部隊であり、さらにドイツから派遣された軍事顧問団(団長ファルケンハウゼン)により市街戦、陣地戦の戦術と技術を直接指導されていた。また、上海市民の支援も得て、中国軍将兵の抗戦士気は高かった。
このため、応急的に動員・編成された上海派遣軍は八月二三日から上海近郊の北部へ上陸を強行し、中国軍との戦闘を開始したが、強固な防衛陣地と中国軍のはげしい抵抗をうけ、戦果を拡大することができないまま戦闘は長期化した。
上海戦の苦戦は、中国の抗戦力を軽視した拡大派の「一撃論が誤っていたことを早くも露呈したものであったが、逆に日本の軍部・政府そして国民のあいだには、中国の抗戦を「暴戻なる支那」の「侮日」と見て、もっと強い打撃を与えて中国を屈服させよという強硬論が大勢をしめるようになり、近衛内閣の国民精神総動員運動の広がりとともに、不拡大派は軍部の内外において孤立していった。』
上海市主要抗戦祈念地(遺跡)
上海淞滬(しょうこ)抗戦祈念館編図録より
*金山衛城南門侵華日軍上陸地遺跡
*侵華日軍小川沙上陸地遺跡
*羅店紅十字祈念碑
*ユダヤ難民祈念館
*四行倉庫八百壮士抗日事跡陳列室
*大韓民国臨時政府旧跡
*呉淞砲台抗日遺跡
*淞滬(しょうこ)抗戦十九路軍臨時軍部遺跡
*無名英雄祈念墓遺跡
上海淞滬(しょうこ)抗戦祈念館の見学
一日の画像アップロードが100枚を超えましたので、明日追加します。
四行倉庫抗日戦争祈念館の見学。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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