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のびたの日記

飢餓の時代を生きた小学生 落穂拾い 選り分けし粒 飢餓の食 

2017年12月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



落穂拾い 選り分けし粒 飢餓の食 先日の川柳に応募したボツ作品である
もちろん 意味不明で 言葉が硬いの評価であった 確かに自分でもそう思った
そして まだ記憶の確かなうちに この時代を生きた小学生として記録したいと思いつく
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長文になるのと 自分では暗くないが読む人によって重くて嫌と思うから スルーしてください
終戦間際の 5歳くらいから 私の記憶にあるが 不思議に映像まで浮かび上がる
極貧と飢餓 この体験があるからこそ 今の自分に活きているんだと神の試練にも感謝が出来る
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冒頭の句は 食べるものが無くて 農家の皆さんが刈り入れを終わって 稲をホダ木に干す頃
誰もいない時に 田んぼに行って わずかに落ちている稲穂を探して拾う
落ちている穂は 良い粒もあるが 薄く食べられないようなものもある 泥に汚れ量も少ない
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汚れたような僅かな稲穂から 米粒を選り分けて 茶碗一杯にならないご飯を頂く
選り分けるのは母の仕事だ コウリャンが手に入った時も クズに近いから選り分ける
大根の葉を農家が棄てる それを貰って軒に干しておく
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いわゆるダイコン飯 テレビで おしん が放送され その中でも食べていた
たた私の家は 飯粒が無い 大根だけを醤油で煮て食べるだけだ
冬を除けば 何とか空腹を満たすことができる
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野の草は 食べられそうなものは何でも食べてみた
イタドリはその中でも美味しく感じられた 但し 回虫などの害があることは後で知ったものである
つつじの花をちぎって食べる わずかに甘い 蚕が食べるからと 桑の葉を団子にして食べた
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これは バサバサで美味しくない トチの実もつぶして食べたがとても食べられない
どんぐりも食べる 今なら 熊の生態に近い(笑) 蚕のさなぎも美味しかった
昆虫も食べる イナゴは信州の名産だが 甘露煮にする砂糖が無い ただ煮て食べる
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こおろぎや 松に巣食う マツムシ 芋虫の様な奴 いずれも不味かったが食べる
カエルも ヘビも 私の食用になる 雀も捕りたいが これは かごで試したがダメだった
キノコもシーズンになれば食べられる 軸が割ければ食べられると信じて取ってきた
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或る日 学校の帰りに サツマイモ畑を通った たまらず引き抜いて一本持ち帰った
母にえらく叱られた 人様のものを盗むなんて そこまでお前は落ちたのかと・・
その さつまいもは食べることはしないで 母が谷へ放り投げた
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疎開で親戚を頼って 南アルプス仙丈岳の伊那谷側の山奥に行ったのがこの時代だ
終戦すぐであった 親戚の山林を借り受けて 樹々を倒して僅かな平地を父が作った
茅葺屋根なんて出来ない 材木を利用しての藁の屋根である
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冬は 隙間から風が入る 雪が部屋の隅に積もることがある
食べるものは 大根の葉っぱだけ もう一つ 大きな甕にキノコを煮たものが保存食である
ある時は野鼠が その甕の中に落ちて浮いていた それでも そいつは棄てて また食べる
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雪が積もると 空腹に耐えかね 雪に醤油を掛けて 食べてみた
暖房も無いから 余計に寒さに震える 因みに 電気もガスも水道も無い
水は少し離れた谷川に汲みに行って溜めておく 朝は凍っている
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ある日 妹とぐったりしながら空を見上げていた 雲の形が面白いねと二人で笑った
突然 雲が何かの形で上から降りてくる 風景が揺れて幻覚に襲われた
棚の大黒様が笑いだす 怖くて布団にもぐると そこにも得体の知れないものがぞろぞろ
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お化けでは無いが うどんがヘビのようになって降りかかったりする
妹が亡くなる前にも 二人で話した 誰も信じないだろうねと笑い合ったものである
母が必死に二人を抱え込む この時は母も幻覚に襲われそうだったと晩年に聴いた
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ランプの生活だが 勿体ないからあまり点けない
灯油が切れると 一升瓶を背中に背負って 一つ山を登って向こうの町へ買いに行った
ランプは一晩で真っ黒になる それを磨くのも私の役目だった
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月夜の晩に 兄弟で歌を歌ったと言う あまり覚えていないが 荒城の月だったろうか
その声が 山を下り集落に聴こえたと言う 次の日 学校で知れ渡ったそうだ
雪道を学校に行くのが辛い 下駄に雪がへばりつき 樹へ何回もぶつけて払って行く
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ある大雪の日 たまたま父が居て 朝早く 坂道道路の雪かきをしてくれた
靴下も無い 足袋も無い 歩けるようにしてくれた道は嬉しかった
ところが帰りは道が埋まっていた 材木を運ぶ馬そりだ 雪の中に足を入れて泣いて帰った
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父は出稼ぎで 村を離れる 木曾の森林鉄道で伐採や木材運搬にも行ったと言う
行く前に 私の顔をしみじみ見て 今度来るときは こいつは生きていないだろうと思ったそうだ
栄養失調で 良く見るアフリカの子どものように 腹だけ膨れ 眼が異様に光っていたと言う
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小学校の遠足は 伊那の街までだった 初めて見る電車に驚いた 確か2両の飯田線
田んぼが四角で広いのにも驚いた 村のは狭くて いろいろの形だった
途中の川でお弁当 私は無いので離れて川を見て居た 先生がそっと来て弁当を分けてくれた
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かなり離れたところに親戚の家があった 学校も 山を下って行った所にある
貧農の集落だが みんな 電気は点いていた ラジオもあった 私の家に無いだけだ
開墾をする前 この親戚の厩を借りて住んだ 馬との仕切りは無い 道具置場である
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後年 両親はクリスチャンになった この馬小屋の話をして笑った
まるで イエスキリストの様だね イエスは馬小屋で産まれたのである
そろそろ クリスマス そんな話も思い出される
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