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日々徘徊〜♪

卑弥呼 

2017年12月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨夜この番組を観ていまして

奈良説と九州説と徳島に分かれていました。が 

面白かったのですが 半分寝ていたり起きたりで苦しかったですが・・。

中国の文献に書かれたとおりの距離とかを
計ってみたりで

卑弥呼(ひみこ)は、今から1800年ほど前に日本にいた、なぞの女王です。
卑弥呼が得意だったのは、「まじない」です。卑弥呼が生きていた時代はどんな時代だったのでしょうか。

卑弥呼が初めて登場するのは、中国の歴史書の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』です。
そこには、3世紀ごろに日本の邪馬台国(やまたいこく)を治めた女王のことが書かれています。
当時の日本は「倭国(わこく)」といい、数十の国々から成っていました。
各地で争いが起こり、大きく乱れていたといいます。
そこへ、一人の女性が王として立てられます。
卑弥呼です。
「鬼道(きどう)」とよばれるまじないの力を使い、女王・卑弥呼が乱れた国々をまとめ、治めたのです。

なぜ、日本の各地で争いが起こっていたのでしょうか。弥生時代のものとされる佐賀県の「吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)」。
ここには当時の建物のほか、水田も再現されています。水田で作られるものといえば…米。
実はこの「米」が、争いの原因になったのです。
この時代、中国からもたらされた米作りの技術が発達しました。人々をまとめる指導者が現れ、計画的に米を作るようになります。そして人々は定住し、「むら」を作ります。
米を保存する技術も生まれ、安定して食糧(しょくりょう)を確保できるようになりました。

絶大な力を手にしていた卑弥呼。
しかし、邪馬台国はいったいどこにあったのか、いまだ明らかにされていません。
「卑弥呼、もって死す」。この記述のあと、卑弥呼は『魏志倭人伝』から姿を消します。
邪馬台国の女王・卑弥呼。
その最期も、なぞに満ちています。

貴方なら九州か 奈良なのか
どちらだと思いますか・・
卑弥呼は本当に女性だったのでしょうか

出土品も どちらも 其れらしいものも出てきています。
またこの頃の日本人は 裸足で歩いていたそうです。
中韓はすでに履物も有ったようです。

この様に中国から見ました我々は中国の歴史書の『魏志倭人(ぎしわじん)』なんです。
九州が近いのでそのようにも・・はてな
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC+%E6%AD%B4%E5%8F%B2&tid=d0321bed12c8725f0bd9d77f326dc939&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1



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