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好奇心全開!!林住期を遊ぶ
『 草の花いのちひとつの一会かな 』恋知575交心zsk0505
2017年12月05日
テーマ:テーマ無し
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草の花いのちひとつの一会かな
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けんけんさん、
いつもサポートとお導きありがとうございます。
「和而不同」も「我は我 されど仲良し」も、深くて大きな言葉ですね。大人の悟達した境地なのでしょうね・・・
ぼくなどの到達できない遙か彼方の道しるべにも見えますが、やはりそこには、人間の解放された時空が幻えてきそうな気がしてきて、言葉あそびでもいいから、その地平を生きてみたいと念ってしまいます。
> 裏も表も無きが如く けんけん
<個なれども共振にいる散る紅葉>への返句感謝します。
気がついたのですけれど、「裏を見せ表を見せて」ということは、やはり良寛さんも裏を持ち、表を持って、使い分けた生き方をしていたのでしょうね・・・
あるいは、裏を見せても、表を見せても、心は一つ、という地平を良寛さんは生きていたのでしょうか・・・
自己を超越したら、どう生きても、善悪是非の彼岸、裏表の彼方を、生きていたのでしょうね。
田舎には好々爺といわれるような長老が色々いたようなお話も聞きますが、見た目では普通の老人と変わりない姿で暮らしているのでしょう。良寛さんが嫌った「らしさ」を突き抜けてしまっていたら、やはりただの愚人として、誰にも気がつかれずに、去っていくのかもしれません。
長者になった人が、家を出て、ホームレスになって、行方をくらましたまま消えたという話も聞きますね。僧の乞食行とは違った遊行人が、街の中にもいろいろ居るのでしょう・・・
草の花いのちひとつの一会かな 仁
今ここの生しみじみ享受
以上、
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> そのわが身を捨てる生き方を、一遍は「孤独独一」(『一遍上人語録』)としょうしている。弟子たちには、常日頃つぎのようにいっていたという。
「生ぜしもひとりなり、視するもひとりなり。されば人と共に住するもひとりなり、そひはつべき人なき故なり」
人間は生まれたのも一人、死ぬのも一人、人といっしょに住んでいても実は一人なのだ、最後までいっしょにいてくれる人はいないからだ。
もう一首、
おのずから相あふ時もわかれても
ひとりはいつもひとりなりけり
屋上屋を架す理屈は、もう要らないだろう。一遍の言葉をくり返すことすらもはや空しい。「ひとりはいつもひとりなりけり」で、すべては尽きている。 。。。山折哲雄『「ひとり」の哲学』p190
無知なれどひとりごこちよちる紅葉 仁
今さら何も求めずとよし
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