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しっかりと平和のバトンを渡しました「よりみちカフェアの靖国神社ツアーンケート」 

2017年12月03日 外部ブログ記事
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>千葉市美浜区「よりみちカフェ」主催で、しょうけい館と靖国神社ツアー<とブログ記事にアップしましたが、アンケートが送られてきましたので転載します。
管理人は、約400回以上靖国神社をガイドしてきましたが、ツアー参加者全員から内容の素晴らしいアンケートを頂いたのは初めてのことです。ガイド資料につけた散文詩「竹夜来」への感想もありました。
しっかりと平和のバトンを渡せたと反って参加者の皆さんに感謝しています。正に「ガイド冥利」に尽きる思いです。
「竹夜来」は最後に転載します。

主催者の北川直美さんと、当日参加された著者の室田元美さんから献本された書籍です。



・・・・・・・・・・・・・・
よりみちカフェ主催「?國神社&しょうけい館ガイドツアー」に参加して

長谷川順一様

 先日は大変お世話になりまして有難うございました。
5時間という長時間にわたるご案内で、さぞかしお疲れになられたのではないかと存じます。
熱心かつ丁寧に、興味深いお話を聞かせていただき心より感謝申し上げます。
遅くなりましたが、当日の感想を参加者のみなさんに書いていただきましたので、ご郵送させていただきます。どうぞご一読ください。
 みなさんがそれぞれに感じ考え、長谷川さんの平和のバトンをしっかりと受け取ってくださったことがお分かりいただけるかと思います。
 主催者としても、この上ない喜びです。「よりみちカフェ」のみなさんに、長谷川さんと出会っていただけて、本当によかったです。
 
 それからご報告ですが、その後「千葉空襲・戦跡を歩く」というフィールドワークを行いましたが、その折に千葉公園にある「千葉縣護国神社」にも行ってきました。戦争別の統計はとっていないそうですが、「戊辰戦争から大東亜戦争まで」5万7千余柱が祀られていることでした。「?國神社」から地元につながり、理解を深めることができたのではないかと思います。
 
                            よりみちカフェ主宰者 
・・・・・・・・・・・・・・
よりみちカフェ 「憲法はじめの一歩」アンケート集約(原文のママ)

1)30代 女性
 長谷川さん、先日は平和のガイドをどうもありがとうございました。生まれてはじめて?國神社に足を踏み入れ、これまで触れたことのなかった独特の世界観にただただ圧倒されていました。すぐに消化しきれないような何かを、指のすき間からこぼれ落ちないように、そおっと抱えて家に帰りました。特に、「?國の神々」の写真が一面に飾られている部屋に入り、思わずなみだがぶわっと溢れた瞬間のことは忘れられません。
 戦争を遂行するために生み出されたドライな舞台装置の上に、1人1人の生々しいウェットな感情が層のように塗り重ねられ完成していったのが?國なのだと感じました。そしてこの場所は決して過去の歴史的施設ではなく今も有効に機能し続け、戦後生まれの者にも影響を与えているように思いました。ガイドの方法によって、過去から学ぶ場になるかどうかが変わるのでしょうね。長谷川さんにガイドしていただけて感激です。企画してくださったよりみちカフェさんもありがとうございました。

2)40代 女性
しょうけい館、遊就館の展示の温度差がよくわかり、興味深かった。遊就館では一貫して「大東亜戦争」という表記だったことが印象に残った。遊就館のあとあじが、映画「永遠の0」で主役の岡田准一がラストシーンで現代の東京上空をゼロ戦に乗ってせんかいし、かっこよく敬礼するという気持ち悪い違和感に似ていた。この「違和感」を大事にしたいと思った。
たまたま最近、「あの戦争はアジアを白人支配から解放するためのものだった」「とても崇高な精神性、日本人の霊性の高さからの戦争だった」「アジアの国々は日本にとても感謝している」という知人の話をききました。そのことを知らないのはGHQの、日本民族の誇りを失わせる洗脳作戦のためで、きちんと知らなければ、高い精神性をもって犠牲になった人たちに申し訳ない、という話でした。
 何が本当かということは、現代の私たちには確かめようもなく、実際そういう側面もあったかもしれない。何にしても、色々な事実をまだまだ知らなすぎるということなのだと思う。
そして、「日本人の崇高な精神性」をとりもどすことと戦争の肯定は別物であると考えるし、何をおいても、人を人でなくす戦争の狂気は全人類があまさず知るべき事実だと思う。それは即ち、知る努力を怠ってはいけないということだろう。
 長谷川さんは豊富な知識を血の通った言葉でわかりやすく伝えてくださり、又、その常に中立を保たれるスタンスのおかげでこちらも非常に内容が素直に受け取りやすく、とても充実した1日となりました。本当にどうもありがとうございました。私も私にできる形でこのバトンをつないでいきたいと思います。

3)40代 女性
 戦争に関する展示を見て、自分自身「戦後生まれの戦後育ち」ということを実感した。何も知らない自分。多くの犠牲の上に憲法があると頭では理解していたつもりだったが、遊就館の多くの方の写真の前に言葉を失った。
 歴史を学ぶことはとても大事。館の展示の到着点にパル判事の言葉が取り上げられていたが、NHKスペシャルでの判事の立ち位置と解釈とは少し異なるような気がした。また資料を振り返りたい。
 貴重な一日をありがとうございました。
 長谷川さん、ありがとうございました。

4)40代 女性
 よりみちカフェの大好きな仲間との屋外学習と遠足気分で参加しましたが、まずしょうけい館を訪ねて軽い気持ちで臨んだことを反省しました。わずか70年数前に、同じ日本人が戦争を体験し、「お国のために」命をささげることを美徳としていたことをまざまざと実感しました。愛国婦人会のように盲信してしまうことは、現代の私たちにもありうることだと自覚して、本当の平和や正義について考えたいと思いました。靖国神社は見学するまでは「ウヨクのコワイ神社」と思っていましたが、家族を追悼し平和を願う遺族の思いもあるのだと知りました(それにしても、戦争や自衛隊を美化する展示は腹立だしいです)。今、安倍政権が目指す道が重なって見えました。靖国を通して反戦と平和を伝える長谷川さんの活動に心から敬意を持ちました。平和のバトンを私も次の世代に手渡したいな。ありがとうございました。
 
5)50代 女性
 九段下及び靖国の社会科見学、ありがとうございました。
 ひとりで行っては難しかった気付きを、皆さんと一緒に長谷川さんのガイドのおかげで気付かせていただくことができました。本当に感謝しております。ひとりでは気付かぬどころか、めげてしまったかもしれません。正直みんなで回っていても、気がめげそうになってしまったところが何か所かありました。ただ、それでも回ったことで、自分の中のいろいろの思いがはっきりと確立したように思います。
 靖国が戊辰戦争由来のだったことも、改めて思い出し、今の政治の根の深さも感じました。歴史認識はものごとをどうとらえるかによって真逆になってしまうことも、歴史から学ぶとするならば、歴史を正しく振り返り、総括する必要があるということも。私たちの国はそれがなされていない、絶望の国なのだなと改めて思ってしまった次第です。
 でも、その中で希望も感じました。
 それは、雨の九段坂の歌詞のなかで、ちゃんと庶民は自分たちの戦争がまちがっていたことが認識できたこと。
 それから、ガイドの長谷川さんご自身から、自分の中の加害と被害を認識されて、平和のバトンをつないでいらっしゃる発言を聴くことができたからです。慰安所のおはなしを、お母さまから聞いたとお話ししてくださったこと。それはわたしにとって、とても重い課題であります。
 個人が自分の中で、考えて行動していくこと、それ以外に、未来を平和に導いていく方法はないのかもしれない、と最近とみに思う、そんななかで、雨の九段坂の歌詞と、長谷川さんの、この頭が下がる平和への活動はわたしにとって、大きな希望の灯、そして目指すべき手本ともなりました。
 貴重な機会をありがとうございました。私も自分ごととして今後も死ぬまで考え行動し続けていきたいと思います。ありがとうございました。

6)50代 女性
しょうけい館
・野戦病院ジオラマを見た時、想像もつかないくらいの悲惨さを見て、ただただ足がすくんだ。
・家に帰って体験記を読んだらもっと恐ろしかった。目を撃たれて「眼球を元に戻した」と書かれていたような気がする。考えられない事だ。2回も読めない。
・特攻艇があったのは知らなかった。
・戦争が終わって国に帰れたとしても兵士はずっと苦しみと戦っていた。もっと国が援助してあげればよかったと思った。
遊就館
・人間魚雷があるのは知らなかった。
・特攻機に乗る息子を持った母親の気持ちを思うとつらい。
・きれいな花嫁人形だった。親の想いが伝わってきた。
・はんごうとヘルメットがたくさん展示してあった。お米を炊くと煙が出てしまい居場所が分かってしまうのにと思った。でもお米はほとんど炊けずに食べるものもなく餓死していった兵士が多かったとの事。国はもっと兵士の事を考えなければいけないと思った。兵士は物ではない。
・夫を戦争に出す奥さんの写真を見てつらかった。「帰って来ない」といった気持ちがほとんどだろう。その奥さんの写真を撮った人もつらかっただろう。
・?國神社の売店で、ゼロ戦のプラモデルを買っていた外国人がいた。どんな気持ちで買ったのだろう。
・「竹矢来」を読んで・・・追いつめられて自決するまでの3日間、どんな想いで過ごしたのか、なかなか想像がつかなかった。やさしい子に育てた自分を責めたのかもしれない。あとはお国のためとも自分に言い聞かせていたのかも。

 戦争は、戦いばかりでなく、いろいろな所へ波が行く。
 国は戦争の後もたくさんの事をつぐなわなければいけない。
 国は人を大切にしなかった。
 平和のバトンをつないでいかなければならない。

7)50代 女性
 先日は靖国神社のガイドツアーをありがとうございました。
 終戦記念日の8月15日あたりになると、閣僚が参拝することでアジア諸国から反発の声があがるが、その事について深く知りたいと思っていました。
 今回のガイドツアーで、?國神社が戦争と切っても切れない関係にあることがよくわかりました。また遊就館の展示の中に、ちいさな嘘やわざと省略されている事もあり、それによって日本からの侵略を正当化しているのだと感じました(歴史的にその真実と違うところと、わざと省略している部分の一覧表のような物があれば、教えていただけませんか)。
 全体的にとてもよいガイドツアーでしたが、一日でしょうけい館と?國神社とまわったので体力的にも消化不良気味で、詳しく理解するためには、明治維新前後からの日本の近現代史をもっと勉強する必要があると感じました。色々なことを自分なりに理解し、そしてそれを出来るだけ周りの人たちにも伝えていく事を私の今後の課題にしたいと思います。

8)50代 女性
 しょうけい館の展示がすばらしかった。遊就館も?國神社もどこも初めて行ったが、イメージしていたよりも「普通」なかんじがした。でも長谷川さんのお話があったので、言葉の選び方ひとつからも意図することが透けて見えて、興味深かった。こうした説明なしに何気なく参拝に来て展示を見、映画を観た一般の人たちは隠された誘導に知らず知らずのうちに引っ張られ刷り込まれてしまうのではないかと思った。長谷川さんの幅広く深い知識を背景にしたお話、また熱い想いを前面に出さない中立的な立場でのお話がすばらしいと思った。名ガイドさんと一緒に見学できたことはラッキーだった。ガイドなしで見学するより10倍意義があったと思う。
 ありがとうございました。おからだ大切に、一人でも多くの方に長谷川節を聞かせてあげてください。

9)60代 女性   
 今回の?國神社ツアーは、事前に長谷川さんからたくさんの資料をいただき、目を通して勉強してからでしたので、より深く理解することができたと思います。本当にありがとうございました。
 長時間のツア―ながら、精力的にガイドしていただき、年齢を感じさせない若さに感じ入っております。
 もっともっとたくさんの事を聞きたい、聞かなければいけないと思っています。
 ?國神社の前に伺った「しょうけい館」は知らなかったことばかり。傷を身体に心に受けた多くの方々に思いはせねばと思いました。?國より印象深かったです。
展示、資料の数々、またもう一度訪れ拝見したいと思います。
?國神社の歴史を今回勉強して、改めて「国とは何か」を考えるきっかけになりました。

10)70代 女性
 靖国神社が戦死したことを美化し、功績とし、「顕彰」する施設であることをあらためて感じました。「戦争する国づくり」をめざす現在、今にも必要とされることを恐ろしく思います。
 しょうけい館ははじめて見ました。戦傷病者と家族等のご苦労などの実態に衝撃を受けました。「事実を知ること」の大切さを思います。
 熱意あふれるガイドさんがおられて、とてもよい企画と思います。「知ること、見ること、聞くこと」の必要性、大切さ、大事なことを考えさせられたツアーでした。お世話様でした。 

11) 50代 女性
しょうけい館と?國神社は、やはり違った視点でつくられていてその対比にはいろいろ考えさせられました。
傷病兵として戦中も戦後も、心身共に傷つき、大変な暮らしを強いられたと思われる、ひとり一人の人間からの視点。
多くの若者たちを戦場へ連れ出し命をうばったことを、国家として反省することなくむしろ輝かしい歴史であるとした権力側からの視点。
自分たちの立ち位置が問われますね。
靖国は大事な夫や子どもを亡くした母親たちに、また死んでいく若者たちに神様になるのだと無理矢理、自分を納得させるための装置でした。
そうやって自らの悲しみを希望に変えるしかなかった人々のことを考え、あ、そうだ、原爆を落とされた広島の人たちが「核の平和利用」という言葉に希望を見いだして、原発を受け入れようとしたこととどこか重なるのではないかと思いました。
戦争の記憶も、ただ受け継がれればいいのではなく、なにを教訓にすべきかを考えていかなければならないのだなあと。
日本人の被害だけではなく、その原因にもなったアジアの加害の歴史から学ぶのもそのひとつですね。
戦争してはいけないのはなぜか。被害者になるからではなく、加害者にもなるからですが、その視点が?國にはありませんでした。
長谷川さんのガイドは本当に力強く、本質をしっかり語ってくださったことに感謝でいっぱいです。長時間、たいへんお疲れになられたでしょうが、力を振り絞って「バトンを渡して」くださったのだと肝に銘じてこれからも学び続けたいです。次の世代にしっかりバトンを渡すためにも・・・。

12)50代 女性
 数年前から、いつか長谷川順一さんの?國神社ガイドツアーに参加したいと希望していました。そして、2年間一緒に憲法を学んできた「よりみちカフェ」の仲間から、「?國神社に行ってみたい」という声があがり、ついにその時が来たと思いました。「なぜ日本はあの戦争を始めたのか」「あの戦争はどんなものだったのか」を知るためにも、?國神社に行ってみようということになったのです。
 長谷川さんは、私たちの依頼をすぐに快くお引き受けくださいました。当日を迎えるまでに約2ヶ月ありましたが、その間送っていただいたメールは数えきれません。正直言って、あまりの熱心さに驚かされました。そして、これは当日参加するだけの普通のフィールドワークではないのだということがすぐにわかりました。その一方で、事前に13枚の資料を読むという宿題だけでなく、東京裁判のドキュメンタリー番組を観たり、「愛国婦人会」と「国防婦人会」の違いを調べてみてください等という「事前学習のすすめ」を参加申し込み者へ転送する度に、心配になりました。「やってこなければならないことがそんなに多いならば参加は無理」という方が出てくるかもしれないと。ですが、それは杞憂でした。みなさんそれぞれに準備をし、当日を迎えてくださいました。なかには、自分でノートにポイントをまとめてきた熱心な方もいらっしゃいました。
 そして、頭と心を柔らかくしてのぞまれた方達が、いかに感受性豊かに吸収されたかということは明らかでした。長谷川さんには質問が次から次へと発せられましたが、それにも十分に応えてくださり、私たちの知りたい学びたいという気持ちはどんどん膨らんでいきました。
 長谷川さんにとって事前準備を条件として引き受けられた初めてのケースとお聞きしましたが、その試みは大成功だったのではないでしょうか。

 ?國神社はこれまでに何回か行ったことがありましたが、「しょうけい館(戦傷病者史料館)」は今回が初めてでした。兵士は国家という巨大な組織の中でいかに管理されていたのか――成人になると男性は誰でも徴兵検査を受けなければなりません。そこではペニスを握られ、おしりの穴まで点検され、5種類に分類されたとのこと。のっけから長谷川さんの説明に言葉を失いました。軍隊には個人の尊厳などというものはまったく認められていなかったのです。そして、体も傷つき精神も破壊されていく戦争というものの、凄まじさ惨たらしさを、さまざまな側面から知ることができました。
 なかでも、傷痍軍人が身に付けていた「帽子」や「めがね」の展示は印象的でした。上からあてられたライトによって影がショーケースの白い紙の上に映るようになっているのですが、そのシルエットから銃弾や砲弾が突き抜けた穴がくっきりと見えるのです。戦場を彷彿とさせ、負傷したりいのちを失うことになった兵士のうめき声が聞こえてくるようでした。光のあて方ひとつで、こんなにも印象が異なり、想像力をかきたてられるものなのかと驚きました。この展示を担当された方の想いも伝わってくるようでした。今後、博物館の展示の仕方などにも興味を持ってみていきたいです。そういった見方も、長谷川さんから教わったことです。
 義眼や義肢までも「恩賜」と言えば、すべて有難がたがらねばならなかったあの時代に、疑問を持たざるを得ませんでした。その疑問は?國神社でも随所で感じました。
 戦後70年余り経った現在でも、?國神社には、毎年十数名の戦没者が合祀されているそうです。「新たな戦死者」が生まれる可能性も否定できない今、?國神社が再び戦争をするための「装置」として復活しないことを願うばかりです。
 今回学んだことは、ここに書ききれませんが、長谷川さんから受け取った平和のバトンを次の世代へ渡すためにも、これからも私達は共に学び続けていきたいと思います。長谷川さん、これからもどうかお元気で、一人でも多くの方に「平和のバトン」を渡してください。
                                    謝謝                                  
・・・・・・・・・・・・・・
旧靖国神社付属地にあった「愛国婦人会」の石碑は、九段会館と旧千代田区役所との敷地境界の植え込みにありました。
旧千代田区役所跡地に「九段坂病院」が建てられた際に、病院脇の遊歩道に移設されました。
そこで管理人が説明をしました。後ろに見えるのが重文「清水門」です。
               




会を創設した奥村五百子像(旧千代田区役所敷地にありましたが、いつの間にか行方不明となりました。千代田区文化財係でも分かりませんでした。同じ像が出身地佐賀県佐賀市に建立されています。)



・・・・・・・・・・・・・・
竹矢来  京 土竜 「しんぶん赤旗」1989年2月4日付「読者の文芸」に初出

  岡山県上房郡 五月の山村に
  時ならぬエンジン音が谺(こだま)した
  運転するのは憲兵下士官
  サイドカーには憲兵大尉
  行き先は村役場

  威丈高に怒鳴る大尉の前に
  村長と徴兵係とが土下座していた
  --- 貴様ラッ!責任ヲドウ取ルカッ!
  老村長の額から首筋に脂汗が浮き
  徴兵係は断末魔のように痙(けい)攣(れん)した

  大尉は二人を案内に一軒の家に入った
  ---川上総一ノ父親ハ貴様カ コノ 国賊メガッ!

  父にも母にも祖父にも
  なんのことか解らなかった
  やっと理解できた時
  三人はその場に崩れた
  総一は入隊後一カ月で脱走した
  聯(れん)隊(たい)捜索の三日を過ぎ
  事件は憲兵隊に移された
  憲兵の捜査網は二日目に彼を追い詰めた
  断崖から身を躍らせて総一は自殺した

  勝ち誇った憲兵大尉が全員を睨み回して怒鳴った
  --- 貴様ラ ドウ始末シテ天皇陛下ニオ詫ビスルカッ!
  不安気に覗き込む村人を
  ジロッと睨んだ大尉が一喝した
  ---貴様ラモ同罪ダッ!
  戦慄は村中を突き抜けて走った

  翌朝 青年団総出の作業が始まった
  裏山から伐り出された孟宗竹で
  家の周囲に竹矢来が組まれた
  その外側に掛けられた大きな木札には
  墨(ぼつ)痕(こん)鮮やかに

  国賊の家

  ---あの子に罪ゃ無ぇ 兵隊にゃ向かん 

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