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兵庫県南部の島

喪中はがき 

2017年11月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ここ数日、喪中葉書が来る。もう寿命に近づいてきたから仕方がないが、友人のことではそれぞれ思い出がある。高校時代に仲良くしていた友人のことを思うと、辛いこともある。

高校の授業では私の得意な格技で柔道で組み合った友人が終わってから口から少し出血したことがあった。彼はバレーボールの選手だったが、少し華奢だったから、私のように乱暴系の動作には負けたのだと今でも思う。スポーツマンとしてよい友であり、普通は3年生の夏までに終わるクラブ活動を3年生の終わりまで後輩のためにバレーボールをしていたと言う。

大和路を歩き回った友が4月に亡くなったと言う。
法隆寺の近くの中宮寺へ行った時に、以前は門をくぐってすぐの玄関から入ったところに弥勒菩薩があり、刺繍の曼陀羅が置かれていた。これを友人と二人で何度も見ていた。友人は小説を読んでいたようで、中宮寺での尼僧と学生の関係の話を門を出てから話してくれた。
夢殿の縁側に座って、桜が散る中で、夢殿の屋根にある球形を見て、人工衛星のようだとも言ったことを思い出す。当時の人工衛星はソビエトが有名であったが、今でも夢殿に行くたびにそれを思い出す。救世観音とか釈迦三尊のスマイルもいろいろ話し合った。
今では無理だと思うが、法起寺の三重塔へ上らせていただいたのもこの時だった。今は内部をすっかり忘れているが。
難波の宮の発見?があった時には、よく議論し合ったが、四天王寺伽藍の再建が成ってすぐに拝観したことも思い出す。金堂の壁画の綺麗な時だった。

高校卒業して、そんなに経っていない時に、大会社に就職したスポーツマンの友人が亡くなったが、結婚間際だったと言う。それも自死。下校する時によく話をしながらだったのだ。

この年だから、喪中葉書がきても当然だが、私の喪中葉書は我が山の神は出すなと、エンディングノートに書いておかないと。ス〜〜と消えるつもりだから。

もう少ししたら、芋掘りに出かける。友人と芋を食べた思いではないが、校庭の隅を掘り返して花を植えた思いでもある。大阪に市電が全盛期の時代だった。急に曇ってきて落雷が電車にあった。この時の友人はどうしたのだろうか。



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喪中はがき

みのりさん

 喪中はがきはこの時期に
届きますね
同じ年代の人が亡くなると
やはりさみしいです。

 *私のブログにも是非訪問して
下さいね

2017/11/25 10:26:44

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