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葵から菊へ
東京裁判71周年イベント第二弾「赤澤史朗名誉教授講演会」
2017年11月14日
テーマ:テーマ無し
4月30日につづく「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」の2回目の企画で、12日の立命館名誉教授赤澤史朗先生の講演会(「東京裁判と戦後日本―「東京裁判史観」の亡霊―」)は、お蔭様で50人余の皆さまが参会され、午後2時から開きました。
防衛省のある市ヶ谷台の歴史についての川口重雄さんと春日恒男さんのパワーポイントが前座で、赤澤先生が90分間の「講義」。質問票に基づく質疑応答の後に、関係団体からのアピールと今後の「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」の活動について管理人が提案しました。
閉会は午後5時前でした。手許にレジュメの残部があります。ご所望の方はご一報ください。
akebonobashi(*)jcom.hone.ne.jp
(*)を@に直して下さい。
レジュメ草稿をアップしますが当日のレジュメは変更されています。質疑応答を含め文字起こしをしたならばパンフレットにする予定です。
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東京裁判と戦後日本
2017年11月12日
赤澤史朗
[はじめに] 東京裁判の概要
International Military Tribunal for the Far East(極東国際軍事裁判)
? (問題点)「勝者の裁き」であって、連合国の責任を不問に。判検事は全員連合国側。
?(意義)1931年(満洲事変)から日中全面戦争(1937年、華北分離工作の一環)を経て、アジア太平洋戦争(1941年、三国同盟によるドイツの勝利に期待)とその敗戦(1945年)に至る戦争が、日本の侵略戦争であることを立証
→ サンフランシスコ講和条約第11条で、東京裁判を含む全ての戦争裁判の判決を受諾 =日本が国際社会へ復帰するための条件
?(政府・文科省の立場)日本の過去の戦争が侵略戦争であったことを、青少年に公教育の上で教えることを、嫌い妨害。→ 日本の近現代史・東京裁判について無知
「東京裁判史観」批判:
1981年、文科省が教科書検定によって「侵略」の二字を削除、これに中国・韓国が反発し、いわゆる「近隣諸国条項」の成立。
これを小堀桂一郎が批判し、日本人はかつて占領軍の出版検閲によって、全て日本が悪いという「東京裁判史観」によって洗脳。これから脱却しなければならないと主張。
※「失敗は失敗の元」(長尾龍一) → これで良いのか?
1.前史
1945年8月8日 ロンドン協定(米英仏ソ):重大戦争犯罪人の処理方式決定、ナチス指導者を裁く「国際軍事裁判所憲章」
※裁判の形式を執るにあたり、アメリカのスティムソン陸軍長官が、挙証などの手続き上の要件を緩和するため「共同謀議」罪を導入することを提起
「共同謀議」罪:英米法特有の概念、「違法な行為、またはそれ自体は適法な行為を、違法な方法で行おうという二人以上の合意」と定義、二人以上の違法が合意があればそれだけで独立犯罪が成立する点が特徴(犯罪の予備以前の段階を処罰)。全く面識の無い人の間でも犯罪計画の実行への合意は成立する。その合意の成立は明示的、暗黙のうちを問わず、会合への参加など間接的状況から推測して証明されればよい。状況証拠で立証が可能とされる。
1945年11月20日〜1946年10月1日 ニュルンベルク裁判(国際軍事裁判=International Military Tribunal、米英仏ソの4大国が裁く)。短い期間で決着
1946年10月〜1949年4月、ドイツ分割占領の米軍政府が単独で開いた12の継続裁判→ 絞首刑24名、終身刑20名などの判決(ただし51年に減刑)
※1945年12月 連合国管理委員会は、ニュルンベルク継続裁判で、戦時中ドイツ人がドイツ人などに対して行った「人道に対する罪」を、ドイツ人裁判官が裁くことを認める。
2.極東国際軍事裁判所憲章
1)憲章の制定
1946年1月19日 極東国際軍事裁判所憲章布告(SCAPが布告)、内容は国際軍事裁判所憲章(ニュルンベルク裁判)に準拠、一部改定、
2)裁判所の構成
?判事・検事
(東京裁判)極東委員会11カ国から推薦のあった判事をSCAPが任命、裁判は判事の過半数の出席で成立、裁判長固定(マッカーサーの指名したオーストラリアのウェッブ)、検事はSCAPが主席検察官1名を任命、他の極東委員会諸国は参与検察官を推薦
?裁判の当事国
1)極東委員会11カ国が判事・検事を出すシステム、すべてが連合国で中立国なし
ドイツにあっては反ファシズム抵抗主体=多数の亡命ドイツ人の存在→継続裁判でのドイツ人裁判官。日本の場合抵抗者の不在=戦争協力の点で誰もが五十歩百歩であり、裁ける人がいない、「勝者の裁き」を許す根拠
2)英米圏諸国中心
イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インド (英連邦5)
アメリカ、フィリピン (アメリカ圏2)
中国 (英米圏1)
フランス、オランダ、ソ連 (非英米圏)
→ ニュルンベルク裁判での4大国対等に対し、東京裁判における米英の圧倒的な主導性
3)罪の種類(憲章第5条、A〜C級)
A項(平和に対する罪):侵略戦争の共同謀議・計画準備・開始・実行 → A級戦犯
戦争違法観(第一次世界大戦後の国際条約・国際的宣言、1928年8月 パリ不戦条約第1条の戦争放棄 →違反した場合の刑事罰なし)
+
指導者責任観(国民責任観と対蹠的な考え方)(政策的判断)。
被告人の責任(憲章第6条):被告の公務上の地位や、政府・上司の命令でおこなったという事実は、責任を免れさせるものではない。ただし刑の軽減のためには考慮する
※違法な国家の命令に国民である個人は服従してはならない、罪と罰とは別だ
B項(通例の戦争犯罪):1927年10月ハーグ陸戦規則、1929年ジュネーブ条約
一般民衆の拷問、強姦、非人道的状態下の一般民衆の抑留、掠奪、俘虜の虐待、など
C項(人道に対する罪):人種的・宗教的等の理由での迫害・奴隷的酷使・追放・殺人
☆問題点
?事後法(遡及法)による裁判 →近代法の原則(罪刑法定主義)に背くとの批判
(批判)?)横田喜三郎『戦争犯罪論』:最も重要なのはそれが「実質的に犯罪としての性質を有するか、従って処罰されるべき理由があるかということ」、
戦争違法観は既に国際法上に存在しており、罪はあったが刑は規定されていなかった、
?)戒能通孝「極東裁判」:世界の民主主義革命戦争の中の革命裁判のひとつ。全ての革命派は奪権した権力を守るために、事後法で立法。
? 訴因における「平和に対する罪」の比重 → 大き過ぎるのではないかとの疑問
現実には、イギリス・中国・フィリピンなど各国検察官から、捕虜虐待などの通例の戦争犯罪に関する自国の国民・軍人の証人・証言が多数提出され、BC級の犯罪の審理が重視
3.被告の選定と裁判の経過
1)被告の選定
☆裁判途中で免訴となった3名(死亡など)を除いて、25名被告には全員有罪の判決。
1946年3月2日 コミンズ・カーが委員長の執行委員会設立、参与検察官とキーナン主席検事の参加する会議の全会一致で被告人を選定するというシステムを決める
「田中隆吉尋問調書」と「木戸幸一日記」が被告の選定に大きな役割
1946年4月8日 参与検察官会議で26名の被告決定
4月13日 ソ連の判検事が到着→17日 2名(重光葵、梅津美治郎)の被告追加
2)天皇の不訴追
?日本側の立場
45年11月5日 幣原内閣閣議決定「戦争責任等に関する件」天皇の責任否定の基準策定
46年3月〜4月(東京裁判直前)→「昭和天皇独白録」 「立憲君主論」
☆天皇を戦犯として裁くことに反対の意見は、支配層、国民の圧倒的多数の支持。その点でもし連合国が天皇の訴追を強行すれば、アメリカ占領軍の日本占領統治は不安定化する可能性。
とはいえ、天皇の自発的退位論は浮上。
? 連合国の立場
天皇の訴追に強硬に反対なのは、SCAPのマッカーサー。1946.1.25陸軍参謀長宛書簡での不訴追の勧告。
→ 46年4月3日の極東委員会で、天皇の不訴追決定
※天皇の不起訴は占領統治への利用という政治的理由
3)起訴状
1946年4月29日 起訴状 重複が多い55の訴因(ニュルンベルク裁判では訴因4)
(起訴状の罪の種類)3類に分類
第1類 平和に対する罪(訴因1〜36)判決では共同謀議の第1訴因他8訴因が認定
第2類 殺人(訴因37〜52):真珠湾攻撃による死者、憲章にはこの罪の規定なし → 判決では全部の訴因が認められず
第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪(訴因53〜55)→判決ではその共同謀議の訴因53を除く、2訴因が認定
4)裁判の経過
裁判用語は英語と日本語とされたが、実際には他の言語での証言・発言も行われた。二重通訳や誤訳とその訂正問題が生じ、裁判が遅延する大きな原因となる
1946年5月3日 開廷 → 起訴状朗読(28名起訴)
?検察側立証段階(46.6.13〜47.1.24、7ヶ月以上)
「平和に対する罪」:日独伊三国同盟による世界征服の共同謀議の立証、など
BC級戦争犯罪:
南京事件(1937年12月国民政府首都の南京が陥落した直後に起きた、日本軍による大量の中国人捕虜の虐殺や強姦事件)の立証
「戦争法規違反」の立証(46年12月〜47年1月):「バターン死の行進」、泰緬鉄道建設など各地の捕虜に対する俘虜虐待、病院船への攻撃など「通例の戦争犯罪」を立証、
?弁護側立証段階(47.2.24〜48.2.10、約1年)
46年6月18日 日本弁護団総会:「国家弁護」(アジア太平洋戦争は自衛戦争)を主とし、「個人弁護」はその範囲内で行うこと、という提案。弁護人は、「国家弁護」中心か「個人弁護」中心かで分かれる。
英米法の裁判に通じたアメリカ人弁護人を、占領軍が選任・費用を負担。
? 1948年4月16日 審理終了(この間に大川免訴、松岡・永野病死)
5)判決
裁判官の過半数の出席で法廷が成立することを根拠に、英パトリック判事を中心に多数派(7カ国=英・米・中・ソ・カナダ・ニュージーランド・フィリピンが参加)が形成。
排除されたウェッブ裁判長(オーストラリア)・ベルナール判事(フランス)・レーリンク判事(オランダ)・パル判事(インド)の4裁判官へは多数派判決草案の写しが配布されたのみで、討議には参加させてもらえなかったらしい
パル判事少数意見:「日本無罪論」は誤訳。パルは捕虜虐待・虐殺などに関しては、捕虜を迫害した現地軍司令官・捕虜収容所長の責任で、この問題に関し日本の頂点的指導者の責任は問えないとの主張。全体に国家弁護の日本側弁護団に近い発想。→1966年 勲一等瑞宝章授与
中里成章『パル判事』(岩波新書、2011年):パルは、同じベンガル州出身のインド国民会議派左派(対英武力独立派)の、チャンドラ・ボースに近い考え方に立ち、この時期の日本の指導者に親近感を抱いていた可能性がある人物。
1948年11月4日〜12日 判決公判、刑の宣告(多数派判決)
全被告有罪
*絞首刑となった7人は、いずれも訴因54・55のBC級の戦争犯罪で有罪と判決された者10名の中から選出
12月23日 東条英機以下7名絞首刑
*天皇の戦争責任に関する判決文少数意見
フランス・ベルナール判事反対意見:「木戸幸一日記」などの証拠から、天皇裕仁は「容疑者の一人」であり、天皇が不訴追だったことで他の被告にとって「不利益」が生じた
オーストラリア・ウェッブ裁判長別個意見:天皇には「平和に対する罪」に関し、開戦の責任があるが、天皇の不訴追は、連合国の一致した利益に基づいて決定された。しかし、有罪とされた被告の量刑は、「天皇の免責」という事実を考慮に入れて決めるべきだ。
☆A級戦犯被告28名の訴追が4月29日、東条英機以下7戦犯の絞首刑が12月23日
(「東京裁判史観」批判の問題点)
「東京裁判史観」批判は、東京裁判を裁判の形を取った報復に過ぎないと見ている。もし侵略戦争と日本人が認めたら、日本は「犯罪国家」の烙印を押されてしまうという危機感。しかしこの点は日本が侵略戦争であることを認めないから、周辺諸国の不信用が続くのであって、その逆ではないだろう。
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