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ミッツ・マングローブさん 凄いよな 

2017年10月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

この騒動ご存じだろうか・・・・9月28日に放送されたフジテレビの「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年スペシャルで、石橋貴明が扮するキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」に視聴者から批判が相次いだことを受けて、フジテレビは公式ホームページで正式に謝罪した。 「保毛尾田保毛男」は、青髭にピンク色のほおという派手なメイクを施したキャラクター。28日の放送では同性愛をネタに共演者とやりとりをするシーンが放送され、視聴者からは同性愛者を揶揄する表現に大きな批判が相次いでいた。とまあ、概要はこんな騒動だが・・・記事にある、大きな批判がどの程度なのか知らないが、どうせたかだかあって百数件のクレームだと思うのだが 私もとんねるずはあまり好きではない。高慢なギャクは時折むかつく事もある。しかし、この謝罪はなにかおかしいよな、と思っていた矢先、とても素敵な正論が記事になった。私の言いたいことをすべて言っていただいたようなこのご意見全文載せてみました。 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は「保毛尾田保毛男」騒動を取り上げる。*  *  * ここまでくると、もはや『時代錯誤なホモやオカマ』は存在自体が差別なのでしょうか? 表面的な配慮をしてくれる世間に恩義を感じながら、当事者同士も『裏切り者』にならないよう気を遣い合う。なかなか窮屈な世の中になってきました。28年ぶりにブラウン管に帰ってきた保毛尾田保毛男ちゃん騒動を目の当たりにして、ずっと悶々としてた今週。 『ホモやオカマはNGでゲイやオネエはOK』なんて、いったい誰がいつ決めたことなのか? 「あの人“こっち”らしいよ」と手を口の横で裏返すジェスチャーや、オネエが出るとひとつ覚えのように『カーマは気まぐれ』をBGMにする演出はよくて、何故『保毛男』ちゃんはダメなのか? 過剰なほどの自重と、善意という名の偏見に塗れ、いよいよ日本も行間や心の読めない単細胞国家になってしまった……。そんな気さえします。 差別や区別にも『分別』があって然るべきでしょう。『分別』というのは、無数のグラデーションの中で、その都度その都度『判断』をすることです。それが道徳であり、秩序なのだと思います。 とはいえ、ものの感じ方・受け取り方は人それぞれです。目にゴミが入っただけでも死ぬ思いをする人もいれば、ウンコを踏んだことで人気者になる人もいます。中学生だった私にとって保毛尾田保毛男は、まさに『自分のデリケート・マターに風穴を開けてくれたウンコ』みたいな存在でした。もちろん皆が皆そうではないでしょうし、嫌な記憶が蘇ってしまった人もいたかもしれません。それでも、過去を持ち出して今を否定するのは、いささか『男らしくない』感じがします。これは、生まれながらにホモだった私にとって、今も昔もいちばん言われたくない言葉です。 岸田今日子さん演じる『お姉様』の愛情をたっぷりと受け、上品にお洒落に生きていた保毛男ちゃん。当時私も、同級生から「お前もホモなの?」と訊かれた際には、「それはあくまで噂でございます」と答えられるぐらいの優雅さを持とうと思ったものです。この切り返しの感性こそが、『踏んだウンコを好機に変えられるかどうか』のサバイバル力なのだと思います。しかしながら、中学生がその機転と勇気を持つのは難しかったことも事実。それでも私は陰口を叩かれるより、たとえ揶揄やからかいだとしても、正面切って『ホモ』だ『オカマ』だと言われ、それに立ち向かう方が『男らしい』と判断する子供でした。故に、保毛男ちゃんは、私にとって『アイドル』に成り得たのかもしれません。あくまで、『そういうホモもいる』という一例ですが。 何はともあれ、『差別的なものに蓋をする』だけでは、何の意味もないことにそろそろ気付かないと。『多様性への理解と配慮』なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、『普通じゃない人が隣にいる違和感』を、自分なりに分別し咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと。  あなたの周りにも保毛男ちゃんはたくさんいます。それはあなたの友達かもしれない。家族かもしれない。同僚かもしれない。良い人かもしれない。嫌なやつかもしれない。誰より、それはあなた自身かもしれない。そして、何より愚かで恐ろしいのは、「自分は普通だ」と信じて疑わない傲慢さや鈍感さなのではないでしょうか?  凄いコメントですよね。人は苦労の数だけ優しさが備わり、世界観も広がると言われています。なんて素敵なコメントなんでしょうか。物事の本質を言い当てています。 日本大企業のあちこちで噴火している、ごまかしと隠蔽。底辺に潜んでいる病巣は同じもの事なかれ主義の先には腐敗と隠蔽しか残らない。謝れば済むという安易な逃げ道を、言論の自由を声高に叫ぶマスコミが使うことの脆弱さ。  凄いよな、ミッツ・マングローブさん弱腰のマスコミには是非見習ってもらいたいものだ。   にほんブログ村

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