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楢本神社 西条市 関行男慰霊碑 

2017年10月13日 外部ブログ記事
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楢本神社 西条市 関行男慰霊碑

初の特攻隊「敷島隊」隊長 関行男慰霊碑





関行男慰霊之碑
爆弾を模した石柱に敷島隊の他の4名の
名が刻まれています


両脇に供えられた250kg爆弾

全員二十歳前後の若者でした。

23才の若い大尉でした。
戦死後、二階級特進で中佐となりました。
23才の若さで4機を率い特攻で散りました


碑文

人類6千年の歴史の中で神風特別攻撃隊ほど人の心をうつものはない。
「壮烈鬼神を哭かしむ」とはまさにこのことである。
この種の攻撃を行ったものは、わが日本民族を除いては見当らないし、日本民族の歴史においても組織的な特攻攻撃は、国の命運旦夕に迫った大東亜戦争末期以外にはない。
 
憂国の至情に燃える若い数千人の青年が自らの意思に基いて、絶対生きて還ることない攻撃に赴いた事実は、眞にわが武士道の精髄であり、忠烈萬世に燦たるものがある。
 
神風特別攻撃隊第一陣は、第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎中将(終戦時自決)の命により、昭和19年10月20日、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊をもって編成、
その指揮官が海軍大尉関行男であった。



この攻撃隊18機(うち半数は直掩隊)は10月25日
出撃し、6機は敵護衛空母に命中し3機は至近弾となって敵艦を損傷した。
中でも関行男大尉は敵の護衛空母セント・ロー(1万400屯)に命中、同艦は火薬庫の誘爆を起し、艦体二つに折れて轟沈するという偉攻を奏した



関行男大尉がその教へ子に残した辞世は
  教へ子は散れ山桜
          かくの如くに

元航空幕僚長 参議院議員 源田實 撰文

昭和19年10月25日
於比島スルアン島沖合にて戦死

昭和50年3月
西条海軍会建之

三笠と大和の砲弾碑


戦艦三笠砲弾(手前)


戦艦大和砲弾






このあたりによくいる型です


もうだいぶ彫りが摩耗しています





















元治元年(1864)



拝殿


本殿


神風特攻記念館

関中佐遺影


250kg爆弾 
海自呉総監部4個献備され内2個は関行男慰霊之碑へ
安置されています。
「敷島隊」が零戦に搭載した爆弾と同型同種



大和模型


零戦機銃弾

一度は訪れたい神社でした

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