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北軽井沢 虹の街 爽やかな風
拝啓、小澤征爾様
2017年09月16日
テーマ:テーマ無し
「北軽井沢じねんびと」の発行で毎年、「きたかる」という小冊子が発行されるが、この度別冊特集号が「拝啓、小澤征爾様」というタイトルで発行された。これは北軽井沢スウィートグラスの社長が書いたものだ。小澤征爾に会うため二度にわたり松本市に行ったが会うことが叶わなかった社長の小澤征爾への呼びかけだ。若き小澤征爾がここ北軽井沢から世界へと飛び立っていったことを知る人は少ない。
昭和30年代に、長野原町の北軽井沢小学校(旧第三小学校)に通っていた私は、小澤さんを見ています。
地元のお父さんたちがボランティアで積み上げた小学校の校庭の石垣に寝そべっていました。いつも同じ場所で、空を見ているのか、寝ているのか。少し汚い格好をしたお兄さんです。ある日、そのお兄さんは、私たちのために楽団と一緒に音楽を聴かせてくれました。
夏が終わればどこへ消えたのか、あのお兄さん、お姉さんたちは私たちの記憶から消え去り、厳しい冬の生活が始まります。
連綿と続く生命の輝き、私は、浅間高原を飛び出し、都会暮らしを経て、ふるさと北軽に帰り六十五歳になります。せめて心の中では、生命のみずみずしい輝きを持ち続けたいと念ずるようになりました。
小学校の石垣の上で寝ころんでいたお兄さんが小澤さんだったと知ったのはずっと後のこと。開拓農家の子倅だった私の家にテレビが入ったのが小学校四年生(昭和三十六年頃)のとき。その後、日本中でクラシック音楽ブームがあったのでしょうか。N響のオーケストラ公演が頻繁にテレビ放送されていました。
そんな折、夕食後の父母の何気ない会話には、小澤さんのことが含まれておりました。かつて小澤さんが斎藤秀雄さんの指導の下、北軽井沢で厳しい研鑽を積まれたこと、小澤さんがヨーロッパ、否、世界で有名になったこと。北軽井沢(私たち)には、小澤征爾がいること。
あっそうか。あの石垣に寝ころんで空を見ていたお兄さんは小澤征爾だ。私の記憶に残った名も知らない人の正体は、小澤征爾、その人でした。
浅間高原の自然は厳しくも美しいです。私たちに無数の喜びを与え、森に入れば嫌なことを忘れさせてくれます。今も変わらず、あの時の自然があります。
人と人が直接向き合う関係は、時に美しくもあり、醜い争いのときもあります。でも、自然の中では見つめ合おうが、そっぽを向いていようが、離れていようが、互いの息づかいを感じることができます。自然は大きく、また多様であり、人間はちっぽけな存在であるからこそ、自然の中の互いの関係は懐かしい、どこか本来の自分を見つけられる魔法に満ちているのです。森の中でわきあがる笑みは、ナチュラルな関係の源泉だと思います。
ふるさと北軽に再び帰り、それからおよそ四半世紀が過ぎ、いろいろありましたが、山河に変わりなく、森はいつもどおりに佇んでいます。そして漠然と、「子供たちの瞳にはどんな未来が映っているのだろうか?」と、ふとそんなことが頭をよぎった時、小澤さんに聞いてみたくなったのです。
小澤さんと自然はどんな関係にあるのだろうか?小澤さんにとって北軽井沢は、今でも懐かしいところなのだろうか?と。
私の母は今年八十八歳になります。一人暮らしですが毎日森の中を歩いています。口ぐせのように「もう十分生きたからいつ死んでもいい」とつぶやきながら「でも今日でなくてもいい」「あの新緑をもう一度見たい」「ハッとする紅葉を見るためにそれまでは死ねない」と、ぶつぶつと欲を張ります。
北軽井沢の四季を知る者にとっては、よくわかる気持ちです。
北軽井沢ミュージックホールは、昔のまま残っています。斎藤先生のピアノや古びた譜面台があります。地元の仲間たちは、ミュージックホールサポーターズを組織し、ホールからの発信を続けています。
古い譜面台にはキズがあります。斎藤先生が腹を立てて起こった時に作ったキズだとか、いやいや若き小澤さんが乱暴に叩いた跡だとか、まことしやかに会話されています。
斎藤秀雄先生のもと、北軽井沢の山荘に集まった若き音楽家たち、そこから、ミュージックホール建設の歴史が始まります。小澤さんがミュージックホールの財団理事長を引き受け、若き音楽家の育成に尽力されたこと。地元では知られた話ですが少しずつ忘れ去られてきました。私たちミュージックホールサポーターズにとって、ずっと語り継ぐ宝ものです。
最近、年をとってゆくのも面白いものだと知りました。そうはいっても、勝手気ままに草原を走り回る若い活力はまぶしいものです。
北軽井沢から世界に飛び出した小澤さんがいて、いっぽう私たちは何やかやと世俗にまみれ、日一日が過ぎ去る毎日です。それでも自然を愛し、噴煙の立ち上がる浅間山の麓で生きています。
いつに日か、音楽の世界に生きる小澤さんの自然観を聞いてみたい。願わくば、一日、いや半日でもいいんです。小澤さんと私たちの思いを重ねる時間をいただきたいのです。
小澤さん、もう一度、北軽井沢にいらっしゃいませんか。
ミュージックホールサポーターズの仲間たち、フリーペーパーの編集委員、地域の仲間たちを代表して、望外のお願いと知りながら手紙を書かせていただきました。
敬具
「小澤さんは、はたして北軽井沢にいらっしゃるでしょうか?」
私の質問に、「もうタクトを振る力はないけれど、彼はきっと来るよ」
優しい笑顔でそういう社長に、私も精いっぱいの笑顔で答えた。
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