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ネットの効力に驚いた朝 

2017年09月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

昨日見た、ラブコメディ「星に想いを」という映画は、舞台が、プリンストンだったので、実に楽しかった。

其処はかつて、幼児期の子供達二人を連れて、二年間住んだ、思い出の場所だからである。


映画は、かの有名な相対性理論の物理学者、アインシュタイン博士が、自動車修理工と自分の姪との、恋の行方に友人達と手を貸す、というふざけた内容だったけれど・・。

ヒロインのメグ・ライアンが、自分の住所「マーサー・ストリート112番地」と言うのをきいて、「あの家?」とばかりに周りが浮き立つ、初めの方の場面は、さもありなん、と思われる。

私が、プリンストンに住んでいた頃、知人のおじさまが「マーサー・ストリート112番地は、我々物理に携わるものにとって、聖地の様な住所です」という手紙を下さった程だから。


私達が住んでいた頃は、そのお家には義理のお嬢さんが住んでいるという話だった。

街案内のパンフレットにも、博士にまつわるエピソードが載っていて、小切手社会のアメリカでは、レストランやお店で、博士の切った小切手が、なかなか銀行で換金されなくて、困ったとか・・。

博士がサインした小切手は、確かに銀行に持って行ってお金に換えるより、家宝として大切に持って居たいだろう。


プリンストン大学の卒業生からは、何人も大統領が出ているくらいで、有名人には事欠かないけれど、やはりアインシュタインは特別だったのだろうと思う。


人口が2万人位の小さな街で、殆どが大学のキャンパスの様な、浮き世離れした環境であった。

車社会になる前に作られた街なので、学生は勿論、先生達も自転車で通勤してる人が多かった。

私も、二人乗りのベビーカーを押しながら、キャンパスのはずれにあるアパートから、森の中の道を通り抜けて、メイン通りまで、よく歩いて行ったものだ。

買い物、というよりも、退屈しのぎのお散歩の感じだった。

13ヶ月しか離れていない、二歳と一歳の子供達は、ベビーカーに座っていると見分けがつかないらしく「ツイン?」とよく訊かれた。

道を歩いていると、アパートの住人である大学関係の顔見知りが多く、よく「ハーイ」と挨拶されて、街の一員になった様な気分だった。


季候の良い時期には、お弁当を持って、12時頃に主人の勤務する工学部までにも、よく行った。


そこから、皆で主人の車に乗って、近くの公園へ行き、所謂ファミリー・ピクニックをする。

大きなテーブルとベンチがあって、簡単に食事ができる、そんな場所が、たくさん在った気がする。


ワシントン・クロスィング・パークというのもあった。

プリンストンは、独立戦争で戦った最後の場所で、大陸会議が開かれたナッソーホールは、現在大学の本部になっている。

独立後数ヶ月間は、アメリカの首都だったそうである。



今朝は、ネットでプリンストン大学やアインシュタイン博士を検索してみた。

一つのサイトから、色々飛んだ挙げ句、もしやと思い・。


主人の名前と、大学の名前を並べて、検索してみたら・・。

何と、写真入りで出てきたのには、驚いた。

凄い世の中である。



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コメント

シシーマニアさん

ありがとうございました。

そうですね。
シシーマニアで検索すると、気楽に書いた様々な事が、出てきます・・。

今までは主人に関する具体的な内容は、極力書くのを避けてきました。
それは、ブログを書く際の、主人との黙約でもありました。

それが一気に、解禁してしまいました。
何を書いても、もう主人に迷惑を掛けることにはならない、と思うと、溢れる様に出てきます。

これが私の、追悼なのだと思います。

2017/09/11 17:33:36

検索

吾喰楽さん

ご主人とは、比べ物にならない経歴の吾喰楽ですが、自分のことを少々。
本名で検索しても、何も出てきません。
ところが、吾喰楽だと、その多いこと。
随分と昔にアップした、風景写真なども出てきます。
ブログでも、文章の拙さはやむを得ませんが、内容には注意しないといけません。

2017/09/11 16:47:09

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