メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

歴代天皇史(朝廷と江戸幕府) 

2017年09月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



現代に続く朝廷の復活

江戸時代、朝廷は幕府に対して権威回復のため様々な手を打っていた
 ☆朝廷は経済の基盤を失い、伝統的な宮中行事ができなくなっていた
 ☆権力復興のため、宮中行事や制度を復活させる動きが、後水尾天皇の頃から起きていた
 ☆後水尾天皇は、皇子の立太子礼が行ない、300年中断していた皇太子の称号を復活
幕府五代将軍・徳川綱吉の元禄時代
 ☆東山天皇は、長らく廃絶していた大嘗祭の儀式を復興した
 ☆綱吉は、尊皇思想が強く朝廷を厚過した(皇室領を1万石から3万石に加増)
 ☆息子徳川家宣に、摂関家の当主の娘迎えるなど、朝廷と幕府の関係は安定していた
幕末を迎えるまでは幕府も朝廷も穏当な関係が維持されていた
 ☆代表的な一件が「学習院」の誕生
 ☆朝廷には平安時代末期に、大学寮が焼けて以来教育機関が存在しなかった
 ☆光格天皇は、大学寮に代わる朝廷の公式教育機関の復活を構想
 ☆次代の孝明天皇は、その父の遺志を継いで学問所の設置を幕府へ打診
 ☆教育を奨励していた幕府側も異を唱えず、それが承認された
幕府が許可した学習院での学問とその後の変化
 ☆漢学や和学、および尊皇教育が施された
 ☆幕末には、尊王攘夷派の公家や志士たちの集会所として利用された
 ☆幕府が許可した学問所で倒幕の密議が行なわれるという現象を生んだ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』(綺麗な絵画が記載されています




朝廷と江戸幕府(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ