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のびたの日記

島津公慕う風習今に継ぐ 

2017年09月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



鹿児島と聞き何を想像するか それは観光では今も噴煙を上げる桜島だろう
そして歴史上の人物と聞けば 西郷隆盛である 来年の大河ドラマも既に撮影中だ
もう一人あげれば 現在の鹿児島の礎を築いた 島津義弘公である
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この藩主が亡くなった時は 当時は禁令である殉死が相次ぎ その数13名にも上る
これほど慕われた藩主 義弘の子 家久が13年後 13名の地蔵塔を建てられた
あの関ヶ原の戦いでは 西軍に属したが 最後まで石田光成の出陣要請に応じなかった
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殉死された13名の地蔵塔
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敗戦を予期し 鹿児島の城民を護るための策だったろうか
1000余名の軍は 殆ど勝敗が決した頃 退路を敵の正面に捉え突き進んだ
追撃も激しく 生き残った勢力は80名余 堺から日向に抜け 故国へ帰った
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島津公を偲び 江戸の平和の中で体力増強も兼ね 菩提寺の妙円寺詣りが行事となった
コースは往復40キロ 市内の照国神社からであるが 現在では自由参加で加わる
島津公の必死の行軍を偲び 本格的な甲冑をまとっての行進となる
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徳重神社 妙円寺




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菩提寺の妙円寺は徳重神社であり 維新後 廃仏分離によって一時は存在を危ぶまれた
毎年 10月の第三土曜日 甲冑の行列や 子どもたちも身軽な衣装で歩く
西郷隆盛は貧しくて甲冑は着れなかったが 仲間の金持ちの息子に頼んで貸して貰った
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こんなエピソードがある妙円寺詣り 歩く時には鼓舞される 妙円寺詣りの歌 まである
てんがらもんで 向井さんが披露すると パーソナリティの皆さんも歌えるほどだ
結構難しい歌詞で 22番まで連なる 全部歌える方も多いと言う
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もう一つ 戦国時代からの現在にあるもの それは薩摩焼だ
豊臣秀吉は 朝鮮征伐で多くの焼き物の職人を連れ帰った
その技術は高く 島津家でも家屋敷も与えて大切に伝承させてきた
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 白薩摩
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それが 沈壽官(ちんじゅかん) の歴史でもあり 白薩摩 ?薩摩の名品を産む
立派な製品でも 地産地消 家庭でも使えるものをと言う他の窯元とは違うのが庶民的だ
以前にもゲストさんから 妙円寺詣りは語られたが また 知識が増えた放送であった
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てんがらもんラジオ視聴できます
http://www.ustream.tv/recorded/107434716
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