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人間観察そして恋そして小説も
理論は極めて玉虫色
2017年08月19日
テーマ:テーマ無し
皆さんは次の文章を読んでどう思われるだろうか。ある家族が飼っていた愛犬が、自宅の前で車に轢かれて死んだ。「犬の肉はおいしい」と聞いていた家族は死体を切り刻んで料理しこっそり食べてみた。どうですか、この話嫌な気持ちはしますよね。当然。しかし、よく考えてください。何が悪いのでしょうか。犬は死んでいます。別に食べたいが為に殺したのでもありません。食べる為の肉は普段、犬の肉ではないにしろ、食べています。この家族は(道徳的)に何か悪いことをしたのでしょうか。もう一つ別のお話を。ある男は週に一度スーパーでチキンを買う。それを使って性行為に耽った後、料理して食べるのだ。これも嫌なお話ですよね。でもこのお話も「道徳的」には悪いこととは言い切れません。このお話は道徳心理学者のジョナサン、ハイトが書いた「社会はなぜ左と右に分かれるのか」の本の最初に出てくるたとえ話です。ところで皆さんは、最初のお話と、後のお話、どちらの方が、より嫌悪感を感じたでしょうか。ジョナサンは当然のように、後者の方がより嫌悪感が強いと(当たり前)のように書いていますが、私に言わせれば、ペットを食べる方も同じくらい罪深いと思うのですが、どうなんでしょうかね。アメリカはキリスト教の国。そもそもキリスト教における獣姦の禁止は、旧約聖書『レビ記』第18章23節「あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである」を明記されています。ですから当然、後者の方がより罪深いと思うのでしょうね。話は最初にもどりますが「自由」が保証されるのであれば、先の二つの話はどちらも問題ないはずです。個人が自由に選択したことをしただけで、誰にも迷惑をかけていません。法にも抵触していません。リベラリストに問うたなら「家族も、男も誰も傷つけない限り、したい事をする権利がある」と答えるしかないだろう。苦々しくは思うが。結局リベラリストも保守も最後は、こう答えるしかない。「その行為は正義に反する」と。私は常に思う。生物の存在それ自体が、他者の肉を喰らわなければ生きていけない宿命を背負っているのに、正義の話など無力ではないのかと。生きる為には、犠牲が必要だ。その根本的論理を「人間だから許される」と弱肉強食を是として、全ての哲学は始まっている。何故人だけは他者を殺して生きて行くことが許されるのか、その根本理論を合理的に説明しないかぎり、迷える子羊たちは永遠に救われないはずだ。自衛隊は違憲だ。しかし、合憲でもある。玉虫色の議論はあちこちで行われる。当たり前だ。理論の根底が、玉虫色なんだから。 にほんブログ村
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