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天皇史(上皇による院政) 

2017年08月18日 外部ブログ記事
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摂関時代が衰退し天皇が権力の座へ返り咲いて「天皇親政→院政」が行われた

幼い天皇を即位さえ上皇が実権を握る院政の時代を迎える
 ☆藤原頼通の時代には、養女や妹を入内させたが皇子には恵まれなかった
 ☆白河上皇から鳥羽、後白河ヘ百余年続いた院政時代のスタート
後三条天皇が、藤原摂関家から権力を取り戻す
 ☆天皇親政、院政期へと続く、新しい時代の端緒を作った天皇
白河天皇(後三条天皇の皇子)
 ☆自分の皇子に譲位、堀河天皇を即位させた
白河上皇が院政を始めた理由
 ☆我が子に天皇の座を継がせ、摂関家を牽制する
白河上皇が40年以上院政を行う
 ☆鳥羽天皇、崇徳天皇と幼い子供を続けて天皇に即位させる
武士階級も徐々に台頭
 ☆白河法皇は「北面の武士」という軍事勢力を作る
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






上皇による院政(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

藤原頼通の時代
養女や妹を入内させたが皇子には恵まれなかった
内親王を母に持っ後三条天皇には、外戚として影響を及ぼぜなかった
天皇は親政を行うことが容易となり、自ら改革を断行した
 ☆重要な政策は荘園整理令
 (税金逃れで藤原氏などに寄進された荘園を没収して公領とした)
藤原家は、政治と経済的にも打撃を受け摂関政治は衰退していく
後三条天皇崩御すると、第一皇子が白河天皇として即位
父の天皇親政を受け継いだ

白河天皇の院政(政治的な実権の移り変わり)
摂関政治の母方の外祖父から、天皇の父方の祖父へ移る
白河、鳥羽、後白河、後鳥羽と百余年に渡って、院政の時代が続く
院政が続くと、それまでとは違う、新たな勢力の台頭
摂関家以外の下級公家、経済力のある受領などが、院の近臣として力を持つ

武士階級も徐々に台頭
白河法皇は「北面の武士」という軍事勢力を作る
伊勢平氏の平正盛・忠盛親子がその頂点に立った
大寺院には租税免除を目当てに大寺院へ荘園が寄進された
 ☆大寺院の権勢が増大し僧兵が闘争や強訴を繰り返す
白河法皇は自らに従わぬものとして
 ☆賀茂川の水、双六の賽、山法師を挙げ嘆いていた

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