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雑感日記
カワサキ二輪事業と私 その66 平成7年(1995)
2017年08月13日
テーマ:テーマ無し
★平成7年(1995)と言えば、大変な年だった。阪神・淡路大震災や、地下鉄サリン事件があった年である。いいことと言えば、野茂が米大リーグで活躍 新人王も獲得した年でもある。
私の現役生活も、残り僅か、1年毎に綴ってきた自分史、『カワサキの二輪事業と私』も残り少なくなった。毎回結構な量の文章なのだが、やはり書き残したことも多いので、また何らかの形で、書いてみたいと思っている。
この年、1995年は何といっても1月17日の『阪神大震災』である。
神戸の隣町なのに、三木は地震は確かに普通とは違う揺れでひどかったが、停電にはなったが家が倒壊するようなことはなかった。停電で一切情報が入らないので、揺れが納まってからは、いつもの通り犬の散歩をして、信号は付いていなかったがいつもの通り明石の会社まで出社したのである。出社をしてきた社員たちも情報がないので、神戸がこんなにやられてるなど知る由もなかったのである。
9時半ごろ、会社の状況を芦屋の自宅におられた高橋鐵郎本部長に電話したら『お前、どこにいるのか?』と仰るので『会社です』と答えたら、阪神間は『めちゃくちゃだ』と仰るのである。10時ごろやっと電気が通じて、神戸の状況をテレビで見て『ぶったまげてしまった』のである。
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この地震に関しては、いろいろあった。
● まずは『オートバイ』が生産が出来なくて品薄になると思ったのであろう。注文がどんどん入って何ヶ月も好調が続いたのである。前年度が厳しかったのだが、この年は売れに売れて、さらにシェアでもホンダを抜いて何ヶ月もトップを走ったものだから、会社の経営は一転好調で、損益的にも大いにいい年だったのである。
● オートバイはこういう災害では非常に役に立つ。兵庫県警に即座に30台ほどを『寄贈する』と言ったら、『寄贈申請をして頂けますか』と言われて『ビックリして』明石署の署長さんに言ったら「ありがとうございます」と即座に受けて頂いて、そのお礼にと県内の例えば神戸市内など車の乗り入れが出来なかったのだが、『通行許可証』をいただいたりしたのである。
● この地震について田崎雅元さんが、私にこんな文章を送ってくれている。
1995年阪神淡路大震災の直後、明石工場に出勤できる役員は、東加古川に住んでいた私一人だった。工場、従業員、地域社会、と担当を分け一時間おきに、会議を持ち陣頭指揮をとった。本社への連絡は後回しになって、後で苦情をいわれた。ヘリポートの解放、地域社会、兵庫県警機動隊などに独身寮の風呂の提供、などもあったが、製品の出荷が大問題で、明石の運動場をコンテナーヤードにして、夜中に播磨から大阪まで筏で輸送、大阪港で船積みした。川汽の100%の協力を貰ったが、全量が川汽扱いになったため、こんなに荷物があったのかと驚かれ、後で返して貰うのに苦労した。
この時の増量で、川汽の神戸支店長は、表彰されている。とにかく、一台あたり5,300円ほどのコストアップになったが、4日程の遅れで生産も開始し、スムーズな供給を続けた。欧州などでは、カワサキさんの製品は当分の間来ない、というウワサが広まっていたそうだ。
この時、高橋さんは苦楽園で孤立し、どうにもならず、救出作戦を考えた。、とりあえず、岩崎さんに頼み、二台の二輪車に救援物資を積んで、何とか運び込んで貰った。高橋さんは大喜びで、良くきてくれたと歓待し、折角の救援物資をかなり消化してしまったようだ。その後彼が見つけたルートで、高橋さんご夫婦は無事に明石の家族寮に到着し暫く滞在して明石工場に復帰した。何かの時には、本当に頼りになる岩崎さんであった。
この年から、彼はKMJの物流会社の常務に出向していたのだが、高橋さん家族をお迎えした時は、多分警察から頂いていた『通行許可証』が役に立ったのだろうと思っている。
●兎に角、新幹線が止まってしまってるので、東京などへの出張も飛行機なのだが、伊丹空港に行くのも三田廻りでないとダメだし、岡山空港まで行った人などもいたのである。
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★阪神大震災では、左右逆向きの力がかかり柱に斜めの大きなひびが入る「せん断破壊」によって高架橋が桁(けた)ごと落ちるなど、山陽新幹線に深刻な被害が出たのだが、その復旧には88日掛ったが、これは日本独特で、『早かった』と言っていいだろう。
この年も、6月頃からは普通に戻ったのである。
この年の役員人事で高橋鐵郎さんは副社長昇格が決まり、次期本部長には田崎さんが就任する方向で決まり、事業本部内の人事がいろいろあった年である。 そんな相談を田崎さんから何度も受けていて、JJSBAの会長をやっていた鶴谷さんの異動などもあって、次期会長には岩田茂樹さんが就任することになった。
昭和32年に川崎に入社した私の年次も。みんな現役は引退してしまって、現役で残っていたのは小野・横山さんと私の3人だけになってしまっていたのである。
次期KMJの責任者として中島直行さんが決まり?、この年の10月からはKMJの営業担当として、異動して来て私の専務としても最後の1年となるのだが、10月以降は殆ど中島君に実務は任して、私自身は松井田プロジェクト、自動車学校問題、自工会でのNMCA 日本二輪車協会の設立に尽力していたのである。
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★この年最高に盛り上がっていたのは、JJSBAの千里浜大会である。
上の写真は、ごく最近のものだが、延々と続く羽咋シーサイドは砂浜の上を車で走れる独特の砂ですぐ横まで車が入れる環境なのである。
当時は1000台を優に超えるエントリーがあって、羽咋市長も観光協会会長も協賛者として大変なご尽力を頂いたのである。
この年は7月14日に開催されて、新岩田JJSBA会長の下での開催となり、田崎さんも私も現地に赴いての実地観戦となったのである。
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JJSBAが一番光り輝いていた時代なのである。このJJSBAの設立はまだ田崎さんがKMC社長時代で、初代JJSBA会長を務められた苧野豊秋さんをお連れしてアメリカを訪問して実現したのである。
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これは田崎さんが送ってくれたその時の写真だが、苧野豊秋さんはジェットのご出身で高橋鐵郎・田村一郎・田崎雅元さんにとっても上司であり、カワサキの二輪部門のカワ販の専務として尽力されたので私も長くお世話になったのである。晩年は、新設の部品会社やJJSBAの初代会長として、私は本当にお世話になった『カワサキの二輪部門の功労者』だと言っていい。
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当時のKMCでもこんなに沢山の人が、集まっての歓迎会だったのである。
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これらの写真はみんな田崎さんが、今年になって私の『カワサキの二輪事業と私』のために送ってくれたものである。
川崎重工業の中でも、単車だけが受注産業とは全く異なる民需量産事業で、末端ユーザーと大々的に、千里浜のレースを楽しんだりする独特の雰囲気を持っている。
私と田崎さんとの関係も、もっと以前のファクトリレースを一緒にやった20歳代の関係が変わらず今でもそのまま続いているのである。
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